歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記第一次世界大戦と日本 

第一次世界大戦 

 
 

●第一次世界大戦の始まり


 
第一次世界大戦とは、同盟国といわれるドイツ・オーストリア・トルコ・ブルガリなどVS連合国 イギリス・フランス・ロシアなどがヨーロッパで争った戦争です。日本もこっそり参戦し中国の利権を拡大することになるのですが、この第一次世界大戦について少し詳しくみて見ましょう。

 1914年、オーストリアが併合していたボスニアのサラエボにてオースリアの皇太子夫妻がセルビアの青年により暗殺されます(サラエボ事件)。これにより、オーストリアはセルビアに宣戦をするのです。

 その頃、ヨーロッパでは激しい植民地争いが行われていました。

 特にバルカン半島という場所は、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれていました。一度火がついたら大爆発になりかねないと恐れられていた場所です。この場所は、アジアとヨーロッパの境目であるので白人と黄色人種との対立、またキリスト教とイスラム教などの宗教争いなどなど紛争の絶えない地域。一度火がついたら大変なことになるぞ!と恐れられていたのです。

 その火薬庫にオーストリアの皇太子夫妻暗殺でついに火がついてしまった。

 バルカン半島
 


 これに乗り遅れまいと各国、各々の思惑を胸に次々とこのオースリアとセルビアの戦争に参戦していくのです。そして、第一次世界大戦が始まります。

 この戦争では
三国同盟を形成したドイツ、オーストリア、イタリアと三国協商を組んだイギリス、フランス、ロシアが激しく争うことになります。ドイツを中心とした三国同盟側を同盟国。イギリスを中心とした協商側を第一次世界大戦では連合軍と呼びます。

 ちなみにイタリアはオーストリアと仲たがいしていた為、後に連合国側で参戦することになります。



 

●第一次世界大戦、日本の参戦



 ところで日本ですが、この戦争は主にヨーロッパで行われた戦争。日本には、あまり関係のない話なのですが、日本はちゃっかり、この戦争に参戦します。当時、日本はイギリスとの間に日英同盟を結んでいました。(日露戦争の直前、ロシアの勢力拡大を恐れていた日本とイギリスは同盟を組みましたね)

 そして、この同盟の内容のひとつに「どちらか一方が二カ国以上の国を相手に戦争を始めたら、もう一方の国も味方して参戦する」という約束事がありました。今回の第一次世界大戦では、イギリスが二カ国以上の国を相手に戦争を始めたわけなので日本もイギリスに味方し参戦する大義名分ができた訳です。

 とはいえ、主な戦場はヨーロッパ。日本からは遠すぎる・・・。というか、実は日本にとってヨーロッパで起きている戦争なんぞどうでもいいのです。第一次世界大戦に日本が参戦した理由は、中国の勢力拡大にあったのですから・・・。日本は、列強国がヨーロッパの戦いに夢中になっている間に、なんと中国に出兵します。名目は、同盟国イギリスの敵であるドイツの中国基地を攻撃すること。

 まぁ、実際、中国のドイツ基地を攻撃したところで第一次世界大戦の情勢に殆ど影響などないのですが、日本は無理やり参戦し、中国に二十一か条の要求を突きつけます。

 これは、山東省にあるドイツの権益を日本に引き継ぐこと、中国政府へ日本人顧問を採用すること、旅順、大連(韓国に近い中国の土地)の租借(借りる権利)期間や満州鉄道の租借期間の延長が盛り込まれていました。この21条の要求で、実際中国側に認められたのは16条でしたが、日本の勝手で要求したものでしたから中国の国民感情は当然、反日に向かいます。

 ちなみに第一次世界大戦はヨーロッパを中心に30カ国以上の国が参戦し、最初の世界規模の戦争となりますよ。

 また、第一次世界大戦は総力戦でもありました。今までは軍隊同士の争いであったのに対してこの大戦では、民間人も巻き込む総力戦の時代となっていきます。

 

第一次世界大戦の終焉



 ロシアでは、当時ニコライ2世による政治が行われていましたが、貧しい国民は苦しみ、しかも戦争で余計に犠牲を強いられる。そんな中、1917年、
レーニンの指導により革命が勃発、皇帝を処刑し世界初の社会主義国家、ソビエト社会主義共和国連邦が成立。これにより、ロシアは第一次世界大戦から戦線離脱します。

 第一次世界大戦では、新兵器も登場し多くの犠牲者を出すことになります。(第一次世界大戦時の新兵器)戦車、飛行機、潜水艦、毒ガス。潜水艦はドイツのみが所有していたのですが、ドイツ軍はこの潜水艦で
無制限潜水艦作戦というのを行います。この作戦は、ドイツ最大の敵、イギリスの周りを潜水艦で囲み、イギリスに出入りする船を片っ端から攻撃してしまおうというもの。ところが、この作戦のおかげでアメリカまで参戦させてしまうことになるのです。アメリカはそれまで中立の立場をとっていたのですが、このドイツの作戦によりアメリカにも被害が・・・。そして、中立であったはずのアメリカまでが連合軍側にて参戦。

 このアメリカ参戦により、戦況は一気に連合国側に有利に傾きます。また、スペイン風邪(インフルエンザ)が大流行し、とりわけドイツの兵力を奪っていきます。そして、いよいよ敗戦濃厚となってくるとドイツ国内では、反戦運動が広まり、皇帝ヴィルヘルム2世は退位を余儀なくされます。

 そして、1918年、連合軍勝利により第一次世界大戦は終わりを告げることになりました。

 その後、1919年。パリ講和会議にて勝利国と敗戦国の間でいろいろなことが決められるのですが、重要なのは
ベルサイユ条約というドイツに対しての条約。この条約によりドイツは膨大な金額のお金を取られ、海外の領土の没収などなど大変な条約を結ばされるのです。




 第一次世界大戦についてもっと詳しく


サラエボ事件

21か条の要求

第一次世界大戦の原因

第一次世界大戦時の新兵器

第一次世界大戦の日本の利益

ベルサイユ条約

第一次世界大戦へアメリカ参戦

大戦後の好景気と米騒動

大正デモクラシーとは