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21か条の要求


 21か条の要求とは、第一次世界大戦の最中、日本が中国に突き付けた21条からなる要求です。

 では、この21か条の要求の内容、なぜこの時期に要求を突き付けたのかなどを見ていきましょう。

 
21か条の要求の内容

 日本が中国に突き付けた内容としては、大きく3つあります。

 ①山東省にあるドイツの権益を受け継ぐこと

 ②旅順、大連の租借期間(借りる期間)の延長、満州鉄道の租借期間の延長

 ③日本人の政治、財政、軍事顧問、日本人警察を中国に駐留させること

 21か条というから21個の要求をしているように思ってしまいますが、ドイツが山東省にもっていた権益を受け継ぐこと。山東省の港湾都市を外国人の居住、貿易のために新しく解放すること。など内容としては、かぶっているのでおおざっぱに言えば重要なのは、この3つです。

 では、なぜ日本は第一次世界大戦の最中というタイミングで21か条の要求を突き付けたのか?

 
なぜ21か条の要求をこの時期に突き付けたのか?

 まず、当時の中国は清の時代から中華民国の時代へと移り変わって間もない時期でした。日本は、日露戦争に勝利してロシアから満州鉄道の経営権や旅順や大連の租借権を持っていました。しかし、これは、清と結んだ条約であって中華民国とは結んでないんですね。さらにロシアが清と結んだ条約では1898年から25年間という租借(借りる期間)期限だったため、残り9年で租借期間は終わってしまう状態だったのです。ですから、第一次世界大戦でヨーロッパの強い国が余裕をなくしている今、租借期間を旅順、大連に関しては1997年まで満州鉄道は2004年までに伸ばしてもらう大作戦だったんですね。

 つまり、ロシアから引き継いだ権益を再確認するとともに租借期間を延期してもらおうと考えたんです。それには、他国の干渉が少ないであろう今が絶好の時というわけだったんですね。

 また、この機会にドイツの権益もいただいちゃいましょう作戦も行われます。これこそが、日本が第一次世界大戦に参戦した理由といわれています。ドイツは中華民国で山東半島などを植民地としていました。これに狙いをつけます。

 日本は当時イギリスと同盟を結んでいました。この同盟では「どちらか一方が2カ国以上の相手と戦争を始めたら、もう一方の国は味方として参戦する」という決まりがありました。ただし、本当はインドから東が規定範囲とされていたのでヨーロッパが戦場である第一次世界大戦では、この義務が適応されないんですけどね。でも、日本は参戦します。なぜならドイツが中国にもっている権益が欲しいから・・・。

 ドイツはヨーロッパの戦場でいっぱいいっぱい。そこをついて日本は、ドイツが中国の本拠地としていた山東半島に上陸しドイツから勝ち取ります。

 ですから、21か条の要求では、ドイツの権益を日本が受け継ぐよって書いてあるんですね。

 中国側としても黙って認めるわけにもいきません。そこで、第一次世界大戦では中立を宣言していたにも関わらず中国は最後の最後に参戦します。そして、戦闘にはほとんど参加していないにも関わらず、中国も戦勝国になったので負けたドイツの権益は自分たちに返すべきだと訴えます。

 しかし、最終的には欧米が日本の権利を認めたために21か条の要求は、日本人の政治、財政、軍事顧問、日本人警察を駐留するなどの希望条項以外は認められることになります。1915年5月7日、中華民国の袁世凱は21か条の要求を受諾しました。

 
ところでなぜ「要求」なのか?

 21か条の要求という言葉、なんか弱い感じがしますよね。「要求」ですからね。これは、一説によれば、袁世凱が「要求」という言葉にしてくれないと民衆を抑えられないと日本の外務省に頼まれたといわれています。

 また、1912年に誕生した中華民国の初代臨時大総統になった孫文は当時、日本に亡命していたのですが、彼曰く「袁世凱が21か条の要求を受諾したのは、袁世凱が帝政支持を日本から取りつけるためだ」といって強く非難したといわれています。袁世凱は帝政を復活させて自身が皇帝になることを考えていたんです。実際にその後、皇帝になることを宣言しています。わずか83日間で反対派が多すぎて帝政を取り消していますけどね。

 教科書でならった21か条の要求。ただ暗記しているだけでは、つまらんもんですが、なぜそんな内容の要求を突き付けたのか。なぜ、そのタイミングだったのかなど紐解いていくと面白いものです。