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歴史年代ゴロ合わせ暗記>第二次世界大戦で枢軸国が負けた理由

第二次世界大戦で枢軸国が連合国に負けた理由


 第二次世界大戦は、米英ソの三カ国を中心とする連合国に日独伊を中心とした枢軸国は敗れています。

 およそ6年続くことになった第二次世界大戦。開戦から3年間はドイツ、イタリアなどの枢軸陣営が快進撃を続け、北はノルウェー、南はエジプト、西はフランス、東はソ連領コーカサスまでヨーロッパの殆どがヒトラーの支配下と事実上なったのです。

 しかし、1942年7月から11月の英領エジプトの入り口を巡る攻防戦、エル・アラメインの戦い。また、1942年9月から1943年3月までのドイツとソ連の死闘スターリングラードの戦いを機に一気に形勢が逆転してきます。その要因はなんだったのでしょう。

 
@アメリカからの兵器の貸与

 第二次世界大戦が開戦された時のアメリカには「中立法」というのがありました。この法律によってイギリスなどに軍事援助が行えなかったんです。慌てて中立法の修正条項を成立させたのが開戦から2か月後。しかし、これでも交戦中の国が直接アメリカまで引き取りに来てやっと軍事物資売却を行えるという限定的なものでした。

 1941年3月11日、アメリカは自国の安全保障上重要と判断された交戦国に対してのみ即時の兵器の供与を認める「武器貸与法」が成立。通称、レンドリース法とも言われるこの法律の成立によりイギリスとドイツなどにアメリカから戦闘機、爆撃機、輸送機、火砲、戦車、トラック、食料など多くの兵器や物資が貸与されます。その総額はおよそ500億ドルともいわれています。

 このレンドリース法の成立はドイツを敗北させる大きな役割を果たすことになります。

 
 
Aスペイン、トルコを味方にできなかったドイツ

 スペインやトルコは第二次世界大戦の最中、中立を守り戦局を見守っていました。当時のスペインの最高指導者フランコは、ドイツのヒトラーに借りがあります。1936年に勃発したスペインの内乱の時にドイツから軍事援助をもらい勝利していたのです。また、トルコも第一次世界大戦の時にドイツ陣営におりましたし、トルコはソ連の脅威を常に感じている状態でしたので両国とも参戦するとしたらドイツ陣営になるはずでした。

 しかし、この両国に参戦を躊躇させたのがアメリカ。アメリカが参戦してきたらドイツ陣営の勝利も危ういと判断し、結局、このスペイン、トルコが本格的に参戦することはありませんでした。

 B長期化する独ソ戦とアメリカの参戦

 ドイツは、それまで奇襲作戦による短期決戦によって勝利を治めてきました。フランスなどもドイツはわずか6週間で屈服させています。独ソ戦も短期決戦で楽勝!と思いきやソ連はフランスが降伏したような状態になっても抵抗を続けます。ソ連との戦いが長期化の様相を呈してきたころの1941年11月、日本軍は真珠湾を攻撃。これによりアメリカが本格的に第二次世界大戦に参戦します。(太平洋戦争

 こうなってくると総合的な国力の差で不利な枢軸国側は不利な立場に立たされ最終的には敗北してしまうのです。