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独ソ戦-スターリングラード攻防戦


 
独ソ戦とは、1941年6月22日にドイツがソ連との間に結んだ独ソ不可侵条約を一方的に破り、ソ連国境に侵入し始まった戦争です。

 この独ソ戦は
第二次世界大戦の中の一戦。この戦いは第二次世界大戦の大きな分岐点となりますよ。

 では、この独ソ戦について少し詳しく見ていきましょう。

 当時のドイツはヒトラー率いるナチスの政権下。ソ連との間に独ソ不可侵条約、つまり「お互いに領土を侵さない、攻めない」という約束をしてドイツはポーランドに侵攻しました。このドイツの行動に対してポーランドと相互援助条約を結んでいたイギリスやフランスはドイツに宣戦布告!第二次世界大戦の火蓋が切って落とされたわけです。

 なぜ、ドイツとソ連はこのような条約を結んだのか?

 ドイツにしたらイギリス、フランスを敵に回してソ連からも攻撃されたら挟み撃ちになっちゃいますからね、一時的に仲良くしましょうと持ちかけたんです。ソ連も東側の日本に警戒していました。日本はその頃、満州を傀儡政権(操り人形のような状態)とし中国とも戦争。ソ連とも
ノモハン事件などで争っていたんで日本とドイツとの挟み撃ちが嫌だった。両者ともに思惑が一致して条約が成立となります。

 しかし、もともとドイツとソ連は犬猿の仲。結果的には対立する運命になるんですねぇ。


 ドイツは開戦直後、快進撃を続けますが、その後、イギリスにだけは苦戦を強いられることになります。そこで、ソ連を潰してしまえばイギリスの望みも断たれるだろうと独ソ戦への準備を進め始めます。まぁ、もともとヒトラーは独ソ不可侵条約を結びながらもソ連への攻撃を視野に入れてはいたようですけどねぇ。

 一方のソ連もドイツの行動がいい加減、目障りになってきます。ドイツは同盟国で苦戦をしいられているイタリアを支援する為にバルカンと北アフリカに機甲師団を派遣。ユーゴスラビアとギリシアを占領しバルカンを制圧するんですが、これは領土を南へ広げていこうと考えていたソ連にとってはかな〜り邪魔。ソ連の内心としては「欲しかった領土をソ連にとられた!」って感じです。

 ソ連も日本との間に日ソ中立条約を結んでドイツへの備えを始めます。日本と仲良くしておけばドイツと日本との挟み撃ちは避けられますからね。日本もソ連との対立を解消すれば安心して東南アジアに進出していけると考え条約に応じます。

 そして、1941年6月22日。突如、ドイツはソ連への攻撃を開始し独ソ戦へと突入となるのです。

 この6月というのが後に勝敗に深く関わってきますよ。何と言ってもソ連は寒い。だから冬になっちゃうとドイツが不利なんです。本来ならソ連を攻めるなら温かくなり始めた3月頃から攻めるべきだった。しかし、その頃のドイツはバルカン制圧などイタリアの支援の為にソ連への攻撃を開始できなかったんですねぇ。それでも6月なら、まだまだ雪が降るまでに時間がある。

 ドイツは得意の電撃戦でどんどん攻めていきます。ソ連もいずれはドイツが攻めてくるだろうことは想定していたとはいえ、1941年の段階では攻撃はないとたかをくくっていたといいますので無防備に近い状態。最初の1ヵ月でドイツはソ連の軍事力を30%も破壊しました。

 おっと、ちょっと話が前後しますが独ソ戦にてソ連に攻め込んだのはドイツだけではありませんよ。ドイツとの同盟国のイタリア、ドイツの保護国となっていたスロバキア。ドイツと同じような独裁体制の国家だったハンガリー、ルーマニア、ブルガリア。ソ連に侵攻されていたフィンランド。これらの国もドイツと共にソ連に攻め込んでいます。

 奇襲攻撃により連戦連勝を続けるドイツ軍。12月にはモスクワに迫りますが、この頃にはソ連軍もドイツに対する反撃を本格的に開始。しかも、12月ともなるとソ連はすでに極寒の地。ドイツ側では燃料の補給もままならなくなり雲行きが怪しくなってきます。また、独ソ戦の開戦を契機にソ連はイギリスとの関係を改善し1942年には英ソ軍事同盟が成立します。

 結局、ドイツはモスクワ、レニングラードを占領することができず1942年6月から始まった史上最大の市街戦と呼ばれるスターリングラード攻防戦によってドイツ軍は壊滅状態ともいえるほどの大敗北となります。



 無敵とも思えたドイツ軍の敗退は、結果的に連合国軍を勇気付けることなり第二次世界大戦でのヒトラーの勢いが凋落していくことになっていくんです。

 

冬戦争 ソ連VSフィンランド

ソ連の崩壊