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歴史年代ゴロ合わせ暗記>平安時代の要点まとめ

平安時代の要点まとめ

 
 受験生にとっても平安時代は苦手という人も多いのではないでしょうか?何しろ平安時代って一般的には794年の平安京への遷都から鎌倉幕府の成立である1185年までの390年間もあるんですからね。覚えることがいっぱいです。でも、要点を抑えて覚えてしまえば結構簡単にテストで点をとることは出来ます。まずは、要点を覚え時代の流れを掴んでから細かな部分を覚えていきましょう。

 まず、平安時代は4期に分けて覚えていきます。

 @桓武天皇など天皇中心の政治

 A藤原氏による摂関政治

 B白河上皇から始まる院政

 C平清盛の平氏の政権

@桓武天皇など天皇中心の政治

 さて、平安時代は@の桓武天皇が平安京(京都)に遷都(都を移すこと)したところから始まります。この平安京遷都が794年。泣くよ(794)ウグイス平安京ですね。では、なぜ桓武天皇は都を移したのか?これは、貴族の争いや僧の政治介入で社会が混乱していたからですね。それまでは奈良が都だったわけですが、僧とか奈良に根付いちゃってるからいっそ都移しちゃえってことです。

 この桓武天皇が都を平安京(京都)に移してから鎌倉幕府が成立するまでの期間を平安時代といいます。平安京が政治の中心であったからですね。

A藤原氏による摂関政治

 次に出てくるのが藤原氏による摂関政治ですね。摂関政治とは、天皇が幼い時には摂政として、成人してからは関白として天皇にかわり政治を行うことです。つまり、藤原一族が政治を牛耳っていた時代ですね。では、どうやって藤原氏は実権を握って行ったのか?藤原氏とは藤原鎌足の子孫達なんですが、天皇の外戚となって勢力を拡大していくんです。857年では官職14人のところ藤原一族が6人の官職を独占。1019年では、官職24人中20人が藤原一族です。現在で言えば、内閣の殆どが首相の親戚みたいな感じですね。全盛期は11世紀前半の藤原道長、頼通親子の時代です。

B白河上皇の院政

 藤原氏の後は白河天皇が力を持ちます。なぜ藤原氏は衰退したのか?藤原氏の后に子供が生まれず藤原氏の血筋を殆ど引いていない後三条天皇が即位したんです。藤原氏を外戚としない天皇は171年ぶりのことです。これはチャンスと天皇家が政権を奪取したんですね。後三条天皇はわずか4年で白河天皇にに在位を譲り、その後、白河天皇は14年間在位した後に幼少の堀河天皇に位を譲って自らは上皇として院政を開始しました。これが1086年です。入れ歯ル(1086)ック白河天皇です。

C平氏の政権

 その後は、平氏の時代になります。保元の乱(1156年)では、平清盛や源義朝らの活躍により後白河天皇側が勝利!そして、平治の乱(1159年)では、平清盛が源義朝を破ります。1167年には平清盛は太政大臣として政権を握るのです。平清盛は日宋貿易といって兵庫の神戸市の港を整備して中国と貿易を行いました。

 そして、その平氏が敗れるのが源平の戦いですね。1185年に平氏はこの戦いに敗れ滅びます。

 どうでしょう?時代の流れは、頭に入りましたか?桓武天皇の時代から藤原氏による摂関政治、そして白河天皇の後は平氏の時代です。まずは、時代ごとに流れを掴んでから人名やその時代の文化などを覚えていった方が覚えやすいはずです!