歴史年代ゴロ合わせ暗記 

歴史年代ゴロ合わせ暗記794年、平安京への遷都、その理由を分かりやすく解説

平安京へ都を移した理由 


 794年
桓武天皇は都を平安京へと移しました。桓武天皇が都を移すには、それなりの理由があったはず?

 では、
平安京遷都の理由をすこし詳しく見ていきましょう。

 710年の元明天皇の時代。平城京へ都を移したことは有名ですが、そこから84年経っていきなり平城京へと都を移した訳では実はないんです。
 
 740年〜745年の僅かな間に聖武天皇は都を恭仁京(くにきょう)、難波宮(なにわのみや)、紫香楽宮(しがらきのみや)と転々と移します。これは、兵乱や災害が頻発した為などと言われています。

 しかし、その後は再び平城京へと都を戻すことになるのですが・・・。


 
その頃、政治の世界では藤原氏や皇族らの権力闘争、真っ只中。740年の藤原広嗣(ふじわらひろつぐ)の反乱の後、聖武天皇や光明皇后、娘の考謙は仏様の力で国を守ってもらおうと仏教の鎮護国家思想に力を入れます。

 741年-国分寺建立・743年-世界最大の金剛像を造る・752年-1万人を参列させて大仏に目を書き入れるなどなど・・・。

 さらに、考謙上皇の病を治したとされる
道鏡など僧侶や寺院も力を持つようになり仏教勢力も拡大していきます。
 
 そこで、781年に即位した桓武天皇は、あれこれ政治にまで口を出すようになった仏教勢力の排除を計画。

 寺院などの勢力が根をはる奈良の地を離れて、心機一転、政治を立て直そうと考えるのです。

 そして、都は784年、長岡京へと移されます。しかし、この都は洪水や疫病が相次ぎ、僅か10年で移動。


 
794年、ついに平安京へと都が移されました。

 この平安京遷都までには色々なことがありましたが、この新しい都は「平安楽土」となるよう願いを込め、平安京と名づけられたといわれています。


平安京について更に詳しく

たった10年で捨てられた都、長岡京

考謙上皇について

道鏡について

平安時代の要点まとめ


 
(平安京の模型)
 
宮都の変都 
天皇  年代  都 
持統天皇 694年 藤原京
元明天皇 710年 平城京
聖武天皇 740年 恭仁京
聖武天皇 744年 難波宮
聖武天皇 744年 紫香楽宮
聖武天皇 745年 平城京
桓武天皇 784年 長岡京
桓武天皇 794年 平安京