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歴史年代ゴロ合わせ暗記>聖徳太子の政治


聖徳太子(厩戸皇子)の政治


 
   
 聖徳太子 
(近年、学校では厩戸皇子(うまやどのみこ)と一部記述されているらしいのですが、ここではあえて一般的に知られている聖徳太子とさせていただきます。)聖徳太子は、弱冠20歳で推古天皇摂政となると政治の世界へ華々しくデビューを飾ります。

 では、その聖徳太子について、すこし詳しく見てみましょう。

 592年、
蘇我馬子(そがのうまこ)によって崇峻天皇(すしゅんてんのう)が殺されてしまいます。その後、馬子は自分の姪にあたる推古天皇(すいこてんのう)を皇位につけます。この天皇は実は女帝。つまり女の人だったのです。日本で始めての女性天皇だった訳ですね。その推古天皇のサポート役として摂政(せっしょう)となったのが聖徳太子でした。ちなみに、摂政とは「天皇が女性や子供だった場合に天皇を助ける役割の人」です。この摂政という位は、驚くことに今も残っています。詳しくはこちら
 
 そして、摂政となった聖徳太子は603年、冠位十二階(かんいじゅうにかい)という制度をつくります。冠位十二階とは、それまでの氏姓制度という仕組みを改め、能力のある人をどんどん役人として活躍できるようにしようという制度。この制度は、役人の位を12に分けて6つの色+それぞれの色の濃い薄いを冠につけてあらわしました。12にして表したので冠位十二階。名前の通りですね。


                       
 濃紫  薄紫 濃青  薄青  濃赤  薄赤  濃黄  薄黄  濃白  薄白   濃黒 薄黒 


 そして、翌年には
17条の憲法を定めます。これは憲法と名前がついていますが、今の憲法とは違い役人の心構えのようなもの・・・。朝廷の役人たちに向けてつくった約束事です。17条というから、やはり17の条文で出来ています。

 1)和を以って貴しとなし 「みんな仲良くしなさいね」(和は平和のことですね)
 2)篤く三宝を敬へ 「仏様を大切にしなさい」(三宝は仏、僧、法。つまり仏様)
 3)詔を承りて必ず慎め「天皇の命令は絶対」(詔とは天皇からの命令のこと)

 すごく、簡単に言ってしまうとこういう内容です。「天皇の下で働くからには俺のルールに従ってもらうよ」と聖徳太子が約束事を決めたわけです。

 また、後で説明しますが聖徳太子は遣隋使を中国に派遣したりもしています。

 605年には飛鳥から20キロメートルほど離れた斑鳩(いかるぎ)の地に聖徳太子は宮殿を構え、
法隆寺を建てるなど仏教に力も注ぎました。


聖徳太子について更に詳しく

聖徳太子は実在しなかった?

冠位十二階

17条の憲法

法隆寺

聖徳太子のエピソード

蘇我馬子と聖徳太子の関係