歴史年代ゴロ合わせ暗記 

歴史年代ゴロ合わせ暗記>安土城

安土城はなぜ消えた?


織田信長が建てた名城「安土城」。しかし、その実在の姿を見たという人は少ないために謎多き名城とされています。その理由は、創建からわずか3年で炎上し姿を消してしまったからなのです。

なぜ、たった3年で安土城は姿を消したのか?

織田信長が安土に築城を始めたのは1576年1月のこと。それから3年後には2の丸、3の丸が完成し、信長が移り住むことになります。そして、築城開始から5年後の1581年に本丸の完成です。

ところが、1582年に本能寺の変によって織田信長は自害に追い込まれてしまいます。その後、安土城は明智光秀に占領されます。数日後には光秀は信長の敵討ちに兵を向けた秀吉を迎え撃つために京都に戻るのですが、その際、安土城は光秀の娘婿の明智秀満に任せます。

ですが、その9日後には山崎の戦いで明智光秀は秀吉に敗北。その事実を知った秀満は安土城を退去しますが、同時に織田信雄軍が安土に入り、明智軍の残党狩りのため城下に火を放ちます。

この時の火が110メートルの山の頂にあった「安土城」にまで燃え移り焼け落ちてしまったのです。

織田軍の放った火によって安土城は地上から姿を消すことになったのですね。

現代人はもとより江戸時代の人でさえ見たという人は殆どいなかった安土城。現在では、その城跡のみが残されていますが、7重の天守閣。外壁は最上階が金。6重は朱と金が施されていたと現在残されている名城などと比べても異色だったことがわかります。また、図面によれば天守閣の底面は不等辺八角形で左右が非対称。内部は一番下に多宝塔が置かれ、その一重から3重にかけては吹き抜けになっており、4重に老化がかかるという、これまた想像しただけでも手の込んだつくりだったのが伺えます。

残されている資料も少ないですが、実際に当時城を見ているルイス・フロイスなどの記録によって模型や3D映像などでその姿を伺い知ることが出来ます。