歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記>中国経済の急発展
   

中国の経済はなぜ急速に発展したのか?

   

 中国はGDPで日本を抜かし、アメリカの次ぐ第2位にまで急成長を遂げましたね。

 なんか、日本人としては悔しい気もしますが、これは決して悪いことばかりではないんですよ。まぁ、この辺はあとでお話するとして、なぜ中国の経済は急成長することができたのか?その辺をちょっと学んでいきましょう。

 とはいえ、このホームページは、経済学の専門ページではなく歴史についてのホームページなので歴史的な側面からご説明しますね。

 中国は、共産主義ですね。共産主義というと難しく感じてしまいますが、この考え方の目的といえば「貧富の差のない、平和な社会を作りましょう」というものです。

 「貧富の差のない」という所がポイントで企業に勝手に生産させていたら貧富の差が出てしまうので生産手段や土地などは国が管理します。政治的な経済政策なども共産党がしっかり管理し、その指導のもとに労働、生産をしていくわけです。

 ところが、中国は毛沢東の「大躍進政策」などに失敗。これは、農業や工業の大増産政策で数年でアメリカやイギリスを経済的に追い越してやろう!という政策。1958〜61年の間に行われますが、原始的な手法での製鉄により低品質な鋼鉄が大量にできたり、またその政策に農民が駆り出され、農地が荒れ果て、さらには天災も重なるなど多くの餓死者を出すことになるんです。

 そして、追い討ちをかけるように「文化大革命」が起こります。劉小奇、ケ小平VS毛沢東、林彪らの政治的対立ですね。政策の失敗により、経済の立て直しめぐって対立が始まったのですが、多くの死者が出るなどして中国国内は大混乱。経済も停滞します。

 しかし、1978年ケ小平の時代になると経済開放政策といって外国の企業などが中国で働きやすくし、中国経済は回復の兆しを見せ始めます。

 ケ小平の考えは「先富論」。これは、結果的に貧富の差のない平等な社会を築くことを目標としますが、その前にまず豊かになれる人や地域から豊かになり、その豊かになった人は貧しい人や地域を導いていきましょう。という論理です。

 そのため、経済解放区といって税金などをちょっと安くして外国の企業が自分の国で生産するより中国の経済解放区で生産したほうが儲かる仕組みを整えたのです。この経済特区の地域(天津、上海、広州など)では、目的通りに急速に経済が発展していくことになります。

 これにより、中国のGDPは右肩上がり!経済開放政策は見事成功したわけです。とりわけ、人民公社を廃止して多くの国営企業を民営化し、外資の導入をはかった1992年からは中国の経済成長率はおよそ年平均9%くらいとものすごい成長率なのです!(最近はちょっと減って7%台ですけどね)

 しか〜し!急激な経済発展の為、効率のわるい中国企業などはリストラなどをせざるを得なくなり多くの失業者がでてしまいます。さらに都市と農村との格差は6倍と計算する専門家も・・・。

 中国の人口のおよそ7割は農民なんです。13億人くらいいるので7割って言ったら9億人ですよ。スゴイ数です。「おいおい、ぜんぜん平等な社会じゃないじゃないかよ。共産主義?どこが?」って疑問を中国の人たちも持つのも当然ですね。

 さらに、工業化が急速に進んだ為に環境汚染なども深刻な問題となっていますね。石油や天然ガスにエネルギーをシフトしていくように努力はしているようですが、それでもまだ需要の多くが石炭なので二酸化硫黄の排出量は世界一です。

 こうやって書いてしまうと「くっそー、中国め!環境汚染して、弱いもんいじめて、日本をGDPで追い越しやがって」って悔しくなってしまいますが、中国の経済的発展は日本にとって悪いことばかりでもないんですよ。

 最近では、日本の貿易相手としてのトップは中国なんです。財務省貿易統計によれば2007年からアメリカを抜いて中国が輸出入のトップ。しかも、その金額は年々増え続けています。

 かつて「世界の工場」などといわれていた中国ですが、今や「消費の有望な市場」と日本の企業の多くが見ているんです。
 
 まぁ、政治的にはいろいろな問題を日中間で抱えているのは事実なんですけど、日本の経済の為にも政治と経済はきっちり切り離して考えていきたいですね。