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毛沢東の文化大革命


 
文化大革命(ぶんかだいかくめい)とは、1966年から約10年間続くことになる思想・政治闘争です。

 では、この
毛沢東(もうたくとう)の文化大革命について少し詳しく見てみましょう。

 話は少し戻って1958年。この頃、中国では毛沢東が主導者となり第二次五ヵ年計画が始まります。通称
大躍進(だいやくしん)と呼ばれる政策です。この大躍進とはどういったものだったのかというと農工業の急速な発展を目指して数年でアメリカやイギリスを追い越してやろう!という計画。

 農業では人民公社という農業共同体をつくり集団化し、工業でも生産性強化に力を入れます。

 しかし、十分な設備もなく農民たちに原始的な方法で鉄を量産させるなどしたため大量の粗悪品が出来上がるなどして大失敗。さらには1958年から3年続けて大災害が続き農業でも大打撃を受けたことから1000万〜2000万の餓死者がでる結果となります。

 当然、この大躍進の主導者である毛沢東も責任を感じ政治の前面から後退。

 次に政治の舞台に現れたのは
劉少奇(りゅうしょうき)とケ小平(とうしょうへい)でした。彼らが行った政策は「調整政策」といって集団化の規模を縮小して余剰生産物の自由販売を認めるなどした資本主義的な政策。この政策によって中国は経済の回復を狙うのですが、この政策をお気に召さない人物がひとり。そう毛沢東です。

 毛沢東は、この政策を資本主義的である!として強く批判。権力を奪還する為に動き出します。

 その運動が
文化大革命です。

 ちなみに資本主義っていうのは、個人が自由に生産したり商売したりできる社会。競争が生まれるので経済の発展が見込めますが貧富の差が激しくなります。

 一方、社会主義とは、国が決めた計画のもと生産が行われ資本は国有か公有となります。貧富の差が少なく社会的な不平等が生まれませんが競争が行われないので経済の発展が遅れることがあります。

 毛沢東が建国した中華人民共和国は社会主義国家。ですから、劉少奇やケ小平の行った政策を資本主義への逆行だ!と非難するんです。

 この文化大革命に動員された青年たちは社会主義を守る兵士といった意味の
紅衛兵(こうえいへい)と呼ばれ、次第に拡大。武闘を繰り広げ文革派ですら統制不可能となります。

 ケ小平は農村に幽閉され、劉少奇は拷問を受け、ろくな手当てもされずに亡くなりました。

 また、彼らを支持していた人たちも迫害の対象とされ、つるし上げられたり、殺害されたりと中国は大混乱におちいります。

 この文化大革命は1976年に毛沢東が亡くなり、毛沢東の腹心である4人組が逮捕されるまで続きました。

 毛沢東の死後は、ケ小平が政治の舞台に復活。彼は経済開放政策を強力に進めます。その後の中国は市場経済を導入。国営企業を民営化し外資を積極的に導入するなど経済面では資本主義の国といっていい状態ですね。貧富の差も都市と地方とでは大きな差があり中国国内でも大きな問題となっています。