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新興宗教



 
創価学会とは

 創価学会の創価は「
価値創価」を意味しています。もともとは日蓮宗の一派の日蓮正宗の信徒団体から始まった新宗教です。

 創立は戦後と思われがちですが、1930年ですから実は、戦前なんですね。

 当初の名称は「創価教育学会」でした。なぜ教育なのか?実は、創価学会の初代会長「
牧口常三郎(かきぐち つねさぶろう)」は尋常小学校の校長を務めていたことから、創立当初は教育者が中心の集まりだったんです。

 牧口常三郎は日蓮の説く仏法に人生の価値を創造する力があると感じ、創価教育学会をつくりました。

 しかし、そもそも創価とはなんなんじゃ?

 ”人生の価値創造とはいななる環境にあってもそこに意味を見出し自分自身を強め、他者の幸福へ貢献しゆく力を発揮していくこと”。この「
造」、つまり価値を創り出すことが創価ってことですね。

 牧口恒三郎は弟子の
戸田城聖(とだ じょうせい)と協力し、1930年11月18日に「創価教育学体系」を刊行。この創価教育学体系を刊行した日が創価学会創立記念日となっております。

 しかし、その後、日本は第二次世界大戦に参戦。大戦中の日本は神道が国教としての扱いを受け、キリスト教を含む、宗教者が弾圧されていた時代です。牧口も戸田と共に1943年7月6日に治安維持法違反、不敬罪の容疑で逮捕されます。そして獄中で牧口は死亡。1944年11月18日享年73歳でした。

 戦後になると日本でも「宗教の自由」が認められるようになります。1951年に戸田城聖が二代目会長として就任。1958年になる頃には75万世帯の折伏(しゃくぶく・宗教活動)に成功し会員世帯を急速に伸ばしました。

 1960年に池田大作が三代目会長に就任。現在では827万世帯もの会員がおり、海外にも学会員がおります。

 1964年には、公明党を結成。政界への進出をはたします。

 しかし、ここで疑問・・・。

 憲法には「政教分離」つまり、政治と宗教は切り離すとあります。自民党を含め、なぜ宗教団体である創価学会が公明党として政治に参加できるのでしょうか?

 公明党としては、政党が宗教に口を出すことは禁止されている。しかし、宗教団体が特定の政党を支持することは認められているという立場です。

 
天理教とは

 天理教とは、1838年に奈良県ではじまった宗教です。新興宗教といわれていますが、天理教は江戸時代からですので、ちょっと歴史がありますね。

 教祖は
中山みきという女性。

 彼女は、裕福な農家に嫁いでいくんですが、息子の足が悪く、それを直すために神様にお祈りをするんです。その時に彼女自身が巫女のような役割をします。その儀式の最中に中山みきに神様が入り込んで来たんですね。人間をつくり出した神様です。

 天理王命(てんりおうのみこと)という神様が入り込んで「神のやしろ」となったのです。

 天理教では、神様が人間を創造した地点を「
ぢば」といいます。奈良県天理市にある天理教の本部の神殿の辺りが「ぢば」です。信者がこの地に来ることを「おぢばがえり」とも表現されます。

 人間を創り出した発祥の地が日本の奈良県なの?アフリカじゃないの?と現代の人々はひねくれた考えを持ってしましますが、まぁ、そういうことじゃないんですね。

 この中山みきという人は、実に凄い人で裕福な農家に嫁いだのですが、その土地や家を売り、食べ物までも減らして、そのお金で困っている人を助けるんです。

 まぁ、自分だけの財産や食べ物ならわかりますけどね。主婦です。当然、旦那さんは激怒!先祖代々の土地や家を売るというのですからね。しかも、身内や世話になった人を助けるのならまだしもよく知らない人の為に家族までも犠牲にして人を助ける訳です。本人も辛くて辛くてしかたありません。神様のやしろになったとはいえ、本人の意識は辛いわけです。ですから、自殺までも考えるほどの苦悩があったんです。

 それでも自分のすべてを与え続け少しづつ彼女を慕う信者が増えていきます。彼女が亡くなったのは1888年享年90歳でした。

 この天理教は戦前に信者を拡大し、現在は多くの分派団体も生み出しました。 

 
 新興宗教というと一歩引いてしまう人も少なくないでしょう。しかし、その元となる考えなどには人生の参考となる部分も多くあります。入信うんぬんはさておき、頑なに否定的になることなく、それらの考えを柔軟に取り入れ学んでおいても損はないでしょう。