歴史年代ゴロ合わせ暗記 

歴史年代ゴロ合わせ暗記>太平洋戦争、宣戦布告

太平洋戦争で宣戦布告を行わなかった理由


 太平洋戦争による真珠湾攻撃。日本は宣戦布告をせず真珠湾攻撃を決行。太平洋戦争に突入しております。なぜなのでしょうか?

 そんなの当り前じゃん!宣戦布告なんてしたら奇襲攻撃にならないじゃん!って思ってしまうかもしれませんが、宣戦布告は国際法でのルール!ちゃんと宣戦布告をしないと関係ない国などに迷惑がかかったり、巻き込んでしまう可能性がありますからね。当時は、宣戦布告をしてから戦闘を開始するというのがルールでした。それを破って日本は突如、真珠湾攻撃を行ったわけです。

 少し話がそれますが、現在での国際的な戦闘では宣戦布告は行われません。なぜか?そもそも戦争はしてはいけないことになっているからですね。あくまでテロとの戦い、紛争であり、戦争ではないので宣戦布告を行わないわけです。

 さて、日本は宣戦布告をせずに真珠湾攻撃を行い、これが「卑怯なだまし討ち」としてアメリカの怒りをかっております。アメリカの世論もこれによって日本への敵意が強まり、議会は賛成多数で対日参戦を可決。「Remember pearl harbor(真珠湾攻撃を忘れるな!)」といったスローガンのもとアメリカは一致団結して対日戦へ国力を注ぎ込むことになるわけです。

 う〜ん。なんだか、宣戦布告をちゃんとしておいた方が、アメリカを本気で怒られせないですんだような気がしますね。

 ですが、実は日本はちゃんと真珠湾攻撃前に宣戦布告をしようとしていたんです。

 予定では、真珠湾攻撃の30分前に宣戦布告を行うことになっておりました。しかし、実際に宣戦布告を行ったのは真珠湾攻撃の1時間も後のこと・・・。なぜ、そんなことになってしまったのか?

 そもそも、日本がアメリカ政府に対して提出しようとしていたのは、宣戦布告文ではなく最後通告文。日米交渉の打ち切りを記した通告文であり、第902号の電報というものがそれにあたります。

 この最後通知文が外務省から駐米大使館へと送られ、それを翻訳してハル長官に面会し宣戦布告とするという予定でした。

 しかし、この第902号電報というのは、何しろ内容が長い。その為、14部に分けられていたのですが、13部までは前日に届いていたものの最後の14部がなかなか届かない。やっと14部が送られてきたのは真珠湾攻撃当日の朝。しかも、14部がなぜか本来用いない「very important」という謎の用語。緊急(extremely urgent)、大至急(urgent)、至急(priority)ではなくベリーインポータント?これで大使館側の電信係員は「う〜ん、そんなに重要じゃなさそうだ」と解読を後回し・・・。結局、ことの重大さに気付いたときには、時すでに遅し・・・。最後通告文が出来上がった時にはすでに開戦していたというわけです。

 大使館にしてみたら、そもそも14部に分けなければならないほどの長さがおかしいし、もっとも重要な14部が当日の朝というのがギリギリすぎる!しかも、第902号電報は誤字脱字が多く、そのため外務省は訂正文として903、906号といった訂正文を大使館に送ってきております。パソコンのない時代にギリギリで送られてきた電報。修正箇所があったとするならば、一から書き直さなければならない。兎に角、ギリギリすぎ!ってわけです。

 外務省の方からすれば、最後通告が外に漏れたら大変!なのでギリギリまで送らないのは当然でしょ!って話です。

 兎にも角にも、いわゆるお役所仕事で相手のことなんて、し〜らない!と外務省と大使館の伝達不足により太平洋戦争は宣戦布告なしで開戦してしまったというわけですね。

 また、軍部が外務省に圧力をかけて、電報を遅らせたという説も出ております。海軍が真珠湾攻撃を仕掛ける予定であったほか、陸軍もイギリス軍相手にマレー作戦を行う予定があったんですが、出来る限り、ギリギリまで情報は伏せておきたいという思惑があり、外務省に圧力をかけ、ギリギリまで電報を遅らせたというのです。なんにせよ、大使館の一部の人物にでもしっかりと情報を知らせておき、ギリギリで電報は送られると話が通っていれば宣戦布告が遅れるなんて世紀の大失敗は起こらなかったはずですが・・・。