外国の金で戦った日露戦争
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1904年日本とロシアの間で日露戦争が勃発します。この戦争は日清戦争とは違い、当時の新型兵器が大量に投入され、日本では100万人の兵士を大陸に送り込むなど総力を結集して戦いを遂行せねばならない本格的な近代戦であり物量線でした。
この戦いに勝つためには当然、お金が必要です。ですが、日本はなんとそのお金、つまり戦費のめどがたってもいないのに戦争に突入してしまいます。
ロシアは日本の60倍以上の国土を有しており、当時の人口は日本の2.5倍。兵の数は200万人、海軍力も強大です。
「でも、まぁ、日英同盟あるし、イギリスにお金借りればいいかぁ」
1903年の12月にイギリスに対して財政援助を求めていますが、翌年の日露戦争勃発直前にイギリスは財政難を理由に断られてしまっています。
そこで動いたのが高橋是清(たかはし これきよ)でした。
日本銀行副総裁であった高橋是清は日露戦争が始まった1904年2月にすぐさま渡米し外債を買ってもらうよう働きかきます。しかし、ロシアに日本が勝てるとも思われず殆ど相手にされず。そこで高橋はロンドンへ!ですか、ここでも予定の半分の500万ポンドしか集まらない・・・。
途方に暮れた高橋是清。知人に紹介で晩餐会に招かれますが、そこで思わぬ収穫を得ることになります。
高橋の隣に座ったのがアメリカの大富豪ヤコブ・シフでした。ヤコブは高橋の話を聞くと残りの500万ポンドをすべて引き受けると約束してくれるのです。
ヤコブはユダヤ系の大富豪だったのですが、当時ロシアではユダヤ人を迫害していたんですね。これに怒りを覚えていたヤコブが日本政府に期待をし協力を約束してくれたのです。
たまたまイギリス旅行中のヤコブにたまたま出会って隣席に座った高橋是清の強運によって日本は日露戦争で勝利することが出来たんですね。
日露戦争の戦費は17億円を超えますが、そのうち公債は13億5000万円。そのがくの内、8億2000万円が外債でしたので外国からのお金がなかったら日露戦争で勝利することは難しかったと言えます。
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