歴史年代ゴロ合わせ暗記 

歴史年代ゴロ合わせ暗記>日本という国号成立

日本という国号の成立はいつから


 中国の書物である「魏志倭人伝」では、日本のことを『倭』と書かれています。しかし、現在では当たり前のように『日本』と読んでいますよね。コレっていつ頃から『倭』が『日本』に変わったのでしょうか?

 かつては、701年の「大宝律令」から倭国から日本国へと国号が変わったと言われてきました。

 しかし、近年になりもう少し前だったのではないかということが解ってきました。

 2011年に中国の西安にある祢軍という人物の墓から墓誌が見つかり、ここにはすでに『日本』という記載が残っています。(祢軍墓誌:678年)
  
 この人物、元は朝鮮半島の百済における最高位の官職であった人物で日本書紀などにも登場する人物です。白村江の戦いの後に祢軍は、中国のに渡り高官となって、没後は西安で埋葬されました。

 


 この墓誌の発見により、678年にはすでに日本という国号がある程度広まっていたことが解ります。

 また、『新羅本紀(670年)』という朝鮮半島の書物にも「倭国が国号を日本と改めた」という記載があります。ここには、「みずから日の出るところに近いので、国名としたのである」といった日本の名前の由来も記されています。

 さらに、中国の唐(618年〜907年)の成立から滅亡までを記した『旧唐書』にも倭国の名から日本国への国号の変更について、倭国が国号を日本に改めたか、もともと小国であった日本が倭国の地を併合したと記述されています。(日本國者 倭國之別種也 以其國在日邊 故以日本爲名 或曰 倭國自惡其名不雅 改爲日本 或云 日本舊小國 併倭國之地)

 恐らく、中国(唐)の見解としては、単純に倭国が日本という国号に変更したか、壬申の乱によって「倭国(天智天皇)」が倒されて「日本国(天武天皇)」が成立したというちょっと曖昧ですが情報があり、それが記載されたようです。

 

 つまり、日本という国号は以前から言われていた701年の大宝律令より少し前の時代には成立していたようです。

 ただし!この『日本』の読み方ですが「にほん・にっぽん」ではなく、「やまと」という読み方だったという説が一般的です。

 日本と書いて「やまと!」。キラキラネームのような無茶な読み方ですが、もともと「倭」も「やまと」と読みます。「わ」というのが音読み(中国語の発音に基づく読み方)で訓読み(漢字の意味を日本語に訳した読み方)では、「やまと」です。

 しかし、この「倭」という漢字には「なよなよした・従順な」といった意味があります。日本人としてちょっと嫌ですね。

 ですから、違う漢字を用いるようになっていきます。有名なところですと「大和」ですね。コレだって普通に読めば「だいわ」です。それ以外にも万葉集では、雄略天皇(456〜479年)は山跡(やまと)と書いていますし、舒明天皇(629〜641年)は山常(やまと)や八間跡(やまと)と書いています。

 まぁ、和歌なんかは、その歌の情景に合わせて当て字を入れたのかもしれませんが、「倭」という漢字は好んではいなかったのでしょう。

 そこで、670年前後に倭から”日出ずる国”「日本」を国号にしようという動きになったと考えられます。