歴史年代ゴロ合わせ暗記 

歴史年代ゴロ合わせ暗記>天皇家の家紋が菊の紋章である理由

天皇家の家紋はなぜ菊なのか?

 
 天皇家の家紋といえば「菊花紋」ですね。



 しかし、なぜ天皇家の家紋が菊なのか?花に詳しい方なら「菊ってそもそも日本には自生していた花ではなく、中国から伝来した花でしょ?」って疑問に思うかも知れません。なぜ中国から伝来した菊を天皇家は家紋としているのか?

 そもそも、菊っていうのは古来から中国で薬効のある霊草として重宝されていたんです。菊には体内の邪気を払い、血液の巡りを改善する効果があると信じれら、不老不死の花として信仰されていた時期もあります。

 その菊が日本に伝来したのが奈良時代だといわれています。お酒に菊の花を浮かべて無病息災を祈ったりと日本にも徐々に根付いていきました。

 そして、鎌倉時代になると、この菊を紋章として採り入れる人物が現れました。後鳥羽天皇です。承久の乱で北条義時と戦い、隠岐へ流罪となる天皇ですね。この後鳥羽天皇は非常に菊の花を愛しており、着物や刀など多くの物に菊の文様を用いていました。これが天皇家に菊の紋章が採り入れられるきっかけとなります。

 やがて、この菊紋は皇室で継承されていき、その後、天皇を表す紋章として認識されていくようになります。

 鎌倉幕府を滅亡させて建武の新政を実施した後醍醐天皇は、その立役者である楠木正成に恩賞として菊紋を下賜しています。楠木は「畏れ多い」と紋の絵図を変えて、流水で菊の下半分を隠すような紋章に変えていますので、その頃には「菊の紋章」といえば天皇のシンボルとして認識されていたといえるでしょう。



 しかし、実際に菊の文様が皇室紋として正式に確立したのは明治時代になってからです。結構、最近なんですね。

 明治時代、天皇の権威を高めるためにそれまでも皇室の象徴とされていた菊紋を特別な物にするため、皇族以外の物に菊の紋章を無断使用することを禁止します。また、菊の紋章を「十六弁八重表菊紋」と定めました。

 パスポートに菊の紋章が記されていますが、これは「十六弁一重表菊紋」なので微妙に違うんですね。