歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記藤原不比等

藤原不比等


 
藤原不比等といえば、そう中臣鎌足の子ですね。あの蘇我氏を中大兄皇子と共に滅ぼした人物の子です。

 この藤原不比等は、大宝律令や養老律令の編纂にかかわり、平城京の造営にも参加しました。日本書紀の編纂にもかかわって日本史を塗り替え、また後の藤原氏繁栄の土台作りをした人物ともいわれていますね。

 では、この藤原不比等について、少し詳しく見てみましょう。



 中臣鎌足は、その業績を称えられ、死に際して藤原の姓を貰いました。だから、不比等は藤原な訳です。

 藤原不比等の活躍が伝えられるのは彼が30歳になってから。持統天皇の時代の裁判官として歴史書に登場します。その後は、大宝律令、養老律令など強力な中央集権国家を作るために国政で中心的な役割を果たします。

 また、日本書紀の編纂にもかかわりました。ここで、自らの父親、中臣鎌足と持統天皇の父である中大兄皇子が起こしたクーデターを正統化するために蘇我氏を悪役。聖徳太子をヒーローにしたのではないかとも言われています。

 さらには、当時の天皇、持統天皇は自分の孫を天皇にしたいと考えていました。その孫の血統こそが正統な天皇の血筋であるという原則に一役買ったのが藤原不比等が編纂にかかわった『日本書紀』でした。

 ちなみに、その孫が後の文武天皇となりますが、藤原不比等は自分の娘を彼の夫人にし、天皇と外戚関係を結んでいます。

 これほど、多くの業績を残しておきながら、歴史書にはあまり登場しない藤原不比等。しかし、実は、あの「竹取物語」に登場しているのではないか?とも言われています。かぐや姫に求婚する5人のうちの1人に車持王子という人が出てくるんですが、藤原不比等の母親が車持・・・。これは、藤原不比等をモデルとしているのではないか?とも言われているんです。