卑弥呼
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邪馬台国の女王、卑弥呼。彼女が邪馬台国の女王になったのは189年頃といわれています。時代的には弥生時代ですね。
当時の日本は倭国といい30もの国があり、争いが絶えませんでした。なぜ、争いが絶えなかったのか?
原因はみんな大好き「お米」です。この時代には中国からもたらされた米作りの技術が発達していきます。今では機械や農薬などがありますが、ひとりで米作りなんて大変ですよね。ですから、みんなで協力して楽して米がつくれるようにしようとするわけです。つまり、集団ができるんですね。その集団が同じところに住むようになります。こうして村が生まれていくんですね。
その村では、人々をまとめる指導者が現れ始めます。しかし、まだ必ずしもみんなが豊かな暮らしが出来るほど安定して米が確保できるわけではありません。すると、米作りに必要な土地、水をめぐって争いが起こるというわけです。
やがて、村から国へ。だんだんと人と土地も増えていき、それをめぐっての争いも激しくなっていった。そんな時代に現れたのが卑弥呼です。
「もういいかげん、誰かに国をまとめてもらえないと争い終わらないよね〜」
国々の王たちは、話し合い平和的にひとりの女性を王として選びました。それが邪馬台国の女王、卑弥呼だったわけです。
卑弥呼について書かれた書物は中国の歴史書『三国志』の中の『魏志倭人伝』という日本について書かれた箇所にあります。
「30の国からなる倭国の都、邪馬台国の女王、卑弥呼」
記述の文字は2000字程度しかないので邪馬台国がどこにあったのか?卑弥呼が何歳くらいなのか?など細かなことはかかれていません。しかし、漫画などに描かれている美しい卑弥呼さまよりも年配であったと言われています。
卑弥呼は鬼道に長けているという記述があります。この鬼道がどういったものなのか、はっきりわかっていないものの占いのようなものであるといわれています。
また、卑弥呼は外交に積極的でした。現在の中国大陸の魏という国から239年に金印と親魏倭王の称号、銅鏡を貰っています。歴史が好きな人ならピンときますよね。そう、三国志の魏です。「魏、呉、蜀」の中でも勢いのあった魏と仲良くなろうと卑弥呼は何度も魏に使いを送ります。
243年にも魏に使いを送っていますし247年にも魏の帯方郡に使いを送り狗奴国との戦いについて知らせています。
また、卑弥呼は人前には姿を現すことがなかったといわれています。
「王となりしより以来、見るある者少なく、婢千人を以て自侍らせしむ、ただ男子ひとりあり、飲食を給し、辞を伝え、居処を出入りす」
王となってからは彼女を見る者はすくなく、1000人の侍女に身の回りの世話をさせていたんですね。占いの結果などは男性唯一出入りを許された男性(卑弥呼は結婚していないので弟と推測される)によって伝えられました。
さて、この謎多き女王、卑弥呼ですが、彼女はどのようにして国をまとめ争いをなくしたのか?
やはり、それは外交の力が大きいでしょう。魏と仲良くしたことです!
当時の中国といえば、日本から見たら圧倒的にすごい存在!野球を始めたばかりの小学生と大谷翔平くらいの差がありました。その魏から「あなたが日本の王様です」と称号と金印、そして銅鏡などを貰ったんです。卑弥呼は、その銅鏡を各国の王たちに配りました。実際に各国の王の墓から銅鏡がいくつも見つかっております。小学生の野球少年が大谷翔平から「君、すごいねぇ。」ってサインボールを大量に貰ったようなもんですね。そのサインボールをクラスメイトに配るわけです。一気にクラスのヒーローですね。しかも、その野球少年はクラスメイトたちとは野球をしません。「君たちとはレベルが違うから」と野球している姿をみせないわけです。もう、クラスでは「あいつの野球センスはぜったいヤバい」ってなるわけですね。
外交と占いで国を見事にまとめ上げた卑弥呼でしたが、卑弥呼がいつ亡くなったのかは正確にはわかっておりません。卑弥呼亡き後は、一度、男性の王が立ったものの内乱が始まったので、その後、13歳の少女を王にしたと言われています。
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