徳川家康(とくがわいえやす)は、1600年、関ヶ原の戦いで石田三成らを破ると1603年には朝廷から征夷大将軍(せいいいたいしょうぐん)に任命され江戸幕府を開きます。
徳川家康は、関ヶ原の戦いの後、大規模な大名の配置換えを行います。江戸に近い領地には親族や古くからの仲間(親藩、譜代大名)を配置。嘗ての敵や力がある大名は外様大名として江戸から離れた地に配属します。
また、1615年には南禅寺の僧侶 崇伝(すうでん)に命じて武家、大名が守らなければならない掟を示します。武家諸法度(ぶけしょはっと)です。内容は、『大名が許可なく徒党を組んだり、城を直したり建てたり、結婚したりしてはいけません。やるなら幕府に許可をとってからね』ということ。
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