歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記世阿弥


世阿弥


見たことがないという人も多いと思います。「能」。ちょっと怖いお面をかぶってゆっく〜り歩きながら舞うやつですね。この能を完成させたのが世阿弥と父の観阿弥です。



能の演目は「1番」「2番」と数えるのですが、現在も頻繁に上演されているのは240番程度といわれています。その中で世阿弥の作ったものが50番以上も含まれているというので現在でも世阿弥の影響力はかなり能の世界には残されているといえます。実際に今でも演じられている演目では『高砂』『実盛』『老松』『恋重荷』『西行桜』などが有名です。また、能の理論書である『風姿花伝』も有名ですね。

この世阿弥ですが、能の才能だけではなくかなりの美少年であったといわれています。その美貌は世阿弥が10代前半の頃から世に知られ公家の二条良基は世阿弥に「藤若」という名を与え知人に「信じられないほどの美少年がいた」と手紙を書いたというから本当に美しかったのでしょう。

残念ながら世阿弥の肖像画などは残されていませんが晩年の姿を掘った木彫りの像から推測すると切れ長の目で鼻筋の通った現在でも通じるようなイケメンだったようにも思えます。



世阿弥に美貌に最も心を惹かれた権力者が足利義満です。義満が10代後半の頃、能を演じる10代前半の世阿弥を見て一目ぼれ。何度もデートを重ねたともいわれています。いわゆるボーイズラブだったのかも知れませんね。その後は足利義満の援助もあり、能が花開いていきました。

しかし、足利義満と次の足利義持の時代ごろまでは良かったのですが、その後の権力者からの援助は受けられる。挙句の果てには年老いた世阿弥は佐渡に流刑になってしまいます。流刑になるということはかなりの罪を犯したはずですが、何の罪で流刑になったのかはわかっていません。一説には当時の将軍、足利義教とのトラブルではないかと言われています。

その後、世阿弥はそのまま佐渡にいたとも京都に戻ったともいわれていますが、どこでいつ亡くなったのかなどは不明です。