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ウクライナ問題の基礎知識
ウクライナは、黒海に面したヨーロッパとロシアに挟まれた国です。国土面積は60万kuですので日本の1.6倍くらいですね。人口は4500万人くらいが住んでいます。ちなみに棒高跳びのブブカ選手などは、このウクライナ出身です。チェルノブイリ原発も有名ですね。
複雑なのが西と東で真っ二つに分かれてしまっている言語や宗教、産業・・・。西側では、親EU派といわれ言語はウクライナ語で宗教はカトリック、主な産業は農業です。対して東側では、親ロシアはといわれ言語はロシア語、宗教はロシア正教、産業は工業が盛んです。
おいおい、なんでそんなことになっちゃったのよ。って感じですよね。
では、このウクライナの歴史について少し学んでいってみましょう。
紀元前4世紀ごろまで、この地を支配していたのは主に遊牧民族のスキタイです。その後、ゲルマン民族が移動を開始すると、この地域は彼らの通り道となり4〜6世紀ごろにウクライナ人の祖先であるルーシと呼ばれる東スラブ人が定住するようになります。
現在のウクライナの首都であるキエフという場所。このキエフが6〜8世紀頃に発展し、8世紀の末頃にはヴァイキングが南下してキエフを中心としてキエフ公国を建国しました。
10〜11世紀に、この地は繁栄しますが12世紀に入ると内戦が勃発し弱体化を始めます。13世紀には、モンゴル人が東から覇権を広げてくるようになり、1240年にはキエフも制圧されました。
その後、モンゴルが分裂、キエフから撤退。ウクライナは1362年からポーランドとリトアニアの支配下となります。
1648年にボフダン・フメリニツキーが独立を求めてポーランドと対立。この時、フメリニツキーはロシアに協力を願い出るんです。これが、現在に至るまでの根強い問題となってくるんですねぇ。
一時的には、キエフを再建するにまでいたるんですが、その後フメリニツキーが亡くなると、ロシアの領土に組み込まれてしまいます。
その後、1922年にロシアを中心としたソビエト連邦が形成されウクライナもその一国として組み込まれます。ソビエト連邦というのは15の共和国が集まってできた連邦国家ですね。しかし、実際は国土の大部分を占めるロシアが大きな発言力を持っていたんですけどね。
1954年にソビエトでは、ウクライナ出身のフルシチョフが第一書記の座に就任。フルシチョフは、ウクライナにソ連のクリミア州となっていたクリミア半島をウクライナに編入することにします。しかし、このクリミアという地はロシア人が多く住んでいるんですね。大体6割くらいがロシア人といわれています。ですから、このクリミアという地が後に大問題になっていくんです。
まぁ、ソ連としては、共和国連邦としての結束を強めたいという狙いがあったのでしょう。ですから、クリミア半島をウクライナに気前よくあげちゃったんです。後にソ連が崩壊するなんて思っていませんからねぇ。
ですが、1991年にソ連崩壊。同じ年にウクライナも独立を果たします。しかし、これまた同じ年にクリミアもウクライナからの独立を宣言するんです。ウクライナとして、これは認められません。一度はもらった土地ですからね。ソ連が崩壊したからって「じゃ、僕たちもウクライナから分裂します」って言われて「はい、そうですか」とはいかないんですね。
しかし、ロシアはクリミアを支持。実は、クリミアにはソ連時代のの海軍基地があったりするんです。ロシアとしてはこの海軍基地などをうまく利用したかったんですね。
ところが、ロシア内にてチェチェンという地域が独立を求めてロシア軍との戦闘を開始するんです。クリミアのウクライナからの独立を支持しておきながら、自分の国の内部では、チェチェンの独立は認めないということになれば非難を浴びます。ですから、ロシアはクリミアの独立の支持をやめます。
1998年、クリミアはウクライナの中でクリミア自治共和国として収まりをつけました。まぁ、一応はウクライナですけど、ゆる〜く独立してるって感じですかね。
2004年にはウクライナにて大統領選が行われ、親ロシア派のヤヌコビッチが当選しますが、親欧米派は選挙に不正があったと訴えオレンジ革命とよばれる抗議行動を起こしました。オレンジのリボンを目印につけていたのでオレンジ革命です。結果、選挙のやり直しが行われると親欧米派のユーシェンコが当選。しかし、同じ親欧派世界一美しい政治家ともいわれ民衆からの人気も強かったユリア・ティモシェンコ首相と袂を分かつことになると支持を失い、次の選挙ではヤヌコビッチに敗れることになります。
このヤヌコビッチさんはロシア派の人。ウクライナには当時7兆円ともいわれる借金があったんです。それを、何とかEUに融資をしてもらおうという流れがあったのですが、ヤヌコビッチはそれを一転。2013年には欧州連合との協定調印を見送り、ロシアから多額の融資を貰いロシアとの関係を強めます。
ですが、これに反ロシア派の国民が反発。ウクライナ騒動とよばれる暴動に発展しました。ヤヌコビッチは、逃走・・・。実は、この人、そうとうお金をため込んでいたようで自宅は東京ドーム30個分の大豪邸に住んでいたようです。
その後、ウクライナ政府はロシア語の地位を停止する法案を提出を模索。これにロシア人が多く住むクリミアは反発しロシア編入を求める声が上がり、住民投票が行われました。
その結果、ロシアへの編入を希望する住民が多数であったとしてクリミアは独立を宣言。しかし、ウクライナは、住民投票のやり方に問題があったとし、これを認めず、一方のロシアはクリミアを支持する姿勢をみせロシアの軍をクリミアに侵攻しました。
その後は、実質的にはロシアの支配下におかれているといった状態です。(2014年〜クリミア半島・ロシアによる実効支配)
さて、事実上、クリミア半島をロシアに奪われてしまったウクライナ・・・。さらに悲劇が続きます。
ウクライナの東部にあるルガンスクとドネツクというロシア系民族が多く住む地域がウクライナからの独立を求めます(2014年)。ロシアはひそかにこれも支持。もちろん大っぴらにロシアとしても他国の一部地域の独立を支持するわけにはいきませんからひそかに支持です。しかし、これらの地域の住民にロシアの国籍を与えたりしています。
さて、どんどん自国の東地域をロシアに取り込まれていくウクライナ。黙って見ている訳にもいきません。
ウクライナ政府は東部地域に対して軍隊を配置。さらにNATO(北大西洋条約機構)への加盟を希望します。これにロシアは危機感を抱きました。
NATOの加盟国が攻撃をされた場合。集団的自衛権を行使してその国を守りましょうという約束があるんですね。つまり、ウクライナがロシアに攻撃されたら加盟国みんなでロシアに対して攻撃し、ウクライナを守りましょうってことです。
2022年、ロシアはウクライナがNATOに正式に加盟する前にウクライナに進行し現在にいたっております。