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南スーダンの内戦


 1899年イギリスが武力によって征服し人為的につくられた植民地がスーダンです。

 1924年以降には、北部を中心として独立運動が盛んとなってきたために南北を分断して統治することにします。もともとスーダンの北部にはセム系の白人が住むイスラム教が多く、南部にはディンカ族などの黒人のキリスト教徒が多くいたことも北部と南部をわけた理由のひとつではありますが、北部の人が南部にいくことも、南部の人が北部に行くことも禁止します。

 その後、1954年にスーダンに自治政府ができ1956年にスーダンは独立を果たします。



 しかし、独立運動の主体、自治政府が北部のイスラム教徒中心であったため、北部と南部との対立は深まっていくことになります。

 1969年にヌメイリという人がクーデータで政権を掌握すると国名をスーダン民主主義共和国とし、1971年には大統領に就任します。しかし、やはりかなり北部よりの政策ばかりなんですね。ですから、南部のキリスト教徒のディンカ族は反乱を起こし、スーダン内戦が始まるのです。

 この内戦は2011年まで続きます。南スーダンが分裂、独立することでやっとおさまるんですね。

 国連も南スーダンの平和維持活動を行うとし、日本も平和維持活動に協力することを約束します。

 しかし、その後、間もなく南スーダンにスーダン軍が侵入してきて南スーダンは大混乱。

 2012年には日本の自衛隊も南スーダンにて平和活動に協力していきますが、2013年頃からは、今度は南スーダン内で政権争いが起こるのです。大統領派と副大統領派が分かれて内戦状態・・・。

 2015年になり、ようやく内戦の和平合意がなされます。

 ですが、2016年7月8日。南スーダンの首都ジュバで大統領と第一副大統領らが会議をしている中、大統領警護隊と第一副大統領警備隊が町中で戦闘を始めるという事態が起こります。

 これは、すぐに南スーダン全域に広がりをみせ、自衛隊や他の国々の部隊が駐屯する宿舎のそばでも大統領派と第一副大統領派が戦闘を始めます。

 住民らは駐屯地に逃げ込みますが、南スーダンの兵士らは駐屯地に向けて砲弾を撃ち込むという事態に・・・。

 日本の政府はこれを重く見て2017年5月に自衛隊を南スーダンから撤退させました。

 しかし、アフリカでの内戦はスーダンに限ったことではありません。ソマリア、ルワンダ、アンゴラなど・・・

 なぜ、アフリカでは、内戦が多発するのか?

 アフリカはかつてヨーロッパ諸国により植民地化されていたんですね。北部ではイギリス、フランス。南部ではドイツ、ベルギーなんかが征服していったんです。

 1884年〜1885年に開かれたベルリン会議の時点でアフリカ分割はおおむね出来上がっており、ヨーロッパ諸国により勝手に勢力圏の境界が引かれました。

 第二次世界大戦後には、アメリカの知識層の黒人に影響を受け、独立運動が盛んになっていきます。そして、1957年から1960年にかけて多くのアフリカの国が独立していきました。取り残された国も1968年頃までにはほぼ独立を果たします。

 しかし、ヨーロッパの国々が勝手に引いた線を国境としたままであったため、ひとつの国に多くの部族がいたり、宗教がバラバラだったりと対立する要素が多分に残されていたままの独立だったんですね。また、ヨーロッパ人に媚び売って利益を得ているような人たちが力を持っていたり、政権を握っていたりしたので特定の部族だけが優遇されたりするんですね。

 そして争いが始まるわけです。

 古くから日本という島国で育った我々にはちょっと理解しがたい部分があるわけですが、中東でもヨーロッパによって勝手に引かれた国境により未だにらみ合いが続いている国々はたくさんあります。冷戦時代のアメリカ、ソ連による国境による争いもありますね。

 日本人にとっての国境と大陸にある国々の国境とでは、その歴史が全然違うわけです。ちょっと考えさせられますね。