「孫子の兵法」孫武
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孫武とは、紀元前535年に生まれたとされ「斉」の国出身の兵法家、思想家です。秦によって中国が統一される前の春秋時代の人ですね。あの「孫子の兵法」を書いた人物としても有名です。
では、この孫武という人物について少し学んでみましょう。
孫武は、斉の国の出身ですが一族の揉め事を逃れるために「呉」の国に移り住みます。その呉の王に呼び出されて兵法を問われたときのエピソードが有名です。
呉の王は、「あなたの兵法書は読ませてもらった。ためしに宮中の女を使って軍の指揮を見せてはくれんか?」と孫武にいいました。
孫武はうなずくと宮中の女180名あまりを集め2つの部隊に別けます。そして武器を持たせ整列させると王の寵愛する2人の美女を各部隊の隊長に任命します。
孫武は右といって太鼓をならしたら右を向くよう。左と合図を出し太鼓をならしたら左を向くといった簡単な命令を伝えますが宮女たちは笑っていうことを聞きません。
「すまない。命令が行き届いていなかったのは私の責任だ。」
と孫武は謝るともう一度命令の内容を皆に伝えます。そして、再び太鼓をならし命令を出しますが、女達はやはり笑うばかり・・・。
「命令が伝わっていないのは将軍である私の責任。しかし、今度は命令を十分皆理解していたはず。命令を理解しているのに兵が動かぬのは部隊長の罪である。」といって部隊長に任命した王の寵愛する美女ふたりを斬り殺そうとします。
慌てたのは呉の王。「私はそのふたりの女がいないと飯も美味く感じない。あなたの力量は十分にわかったから、どうぞ殺さずに終わりにしてほしい」と孫武に伝えます。
しかし、孫武は「私はあなたの命令で今、将軍となっております。将軍が軍を任されたからにはいかに王の命令とて聞き入れられぬこともあります。」とって2人の美女を斬り殺してしまいました。
その後、新たな女2人を隊長に任命すると血相を変えて命令に従う宮女たち。
「どうです。軍はすっかり仕上がりましたぞ。王もこちらに来てください。もはや、王の命令ひとつで火の中、水の中でもこの軍は進軍していくことでしょう。」
そう孫武は王に伝えます。王は「すまんが、そちらに行って見る気力もない。将軍も少し休むがよい。」と孫武にいいますが、孫武は「王は兵法書を読むのはお好きなようですが兵法の中身を実行するのは無理なようですな」と王に言い放つのでした。
普通なら「なんだ、貴様!」と孫武は王に斬られてしまいそうですが、王はその後、兵法の深さを知り孫武を将軍として迎え入れることにになるのでした。
孫武の孫として有名な人に孫ピンという人がいますね。「孫ピン兵法」を書いたことで有名です。また、三国志時代の呉を建国した孫権、中華民国の父といわれる孫文も孫武の一門から出たといわれています。
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