歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記第二次世界大戦の戦車・戦闘機・戦艦>戦闘機 紫電

戦闘機 紫電 


 太平洋戦争にて日本の戦闘機を支えた2大メーカーといえば三菱重工業と中島飛行機ですね。しかし、紫電の開発メーカーは川西飛行機。

 この川西飛行機は、中島飛行機に出費していた川西清兵衛が技術者を引き抜いてつくった会社です。

 川西飛行機からは、海軍の水上戦闘機「強風」が生まれます。しかし、この「強風」、空戦能力は高かったものの戦闘機につけたフロート(浮き舟)が重過ぎてイマイチ・・・。そこで、海軍は1941年12月に川西飛行機に対して、この「強風」を陸上局地戦闘機として改造することを支持します。

 そして、生まれたのが「紫電」です。

 ですが、もともとは水上戦闘機の仕様。主翼の位置が中翼となり、主脚が非常に長くなってしまうなどの問題もでてきます。速度も600キロに達しないレベル。

 1943年2月。海軍は「紫電」のさらなる改良を指示。胴体の設計を変え、主翼の位置を中翼から低翼に変更するなど本格的な局地戦闘機として生まれ変わりました。これが「紫電改」です。

 急降下テストでは時速796.4キロを出し、零戦と比べても非常に高い性能を見せつけます。また、零戦の弱点といわれていた防弾装備も「紫電」では防弾タンクや自動消火装置などをつけることによりクリア。紫電改(紫電二一型」は、1945年1月に制式採用されることになります。

 1945年3月19日には源田実大佐のもと紫電改54機と紫電7機で四国松山上空に現れたF6FやF4Uのアメリカ艦載機52機を撃墜するなどの成果を上げますが、「紫電」は登場するのが太平洋戦争でも終戦近かったこともあり、その全機が本土防空部隊に投入されることはありませんでした。