歴史年代ゴロ合わせ暗記 

歴史年代ゴロ合わせ暗記>尖閣諸島

尖閣諸島のあまり知られていない事実

 
 日本と中国の間で互いに自国の領土だと主張している尖閣諸島。実は、過去に日本は、中国()に尖閣諸島を差し出そうとしていたことをご存知でしょうか?

 尖閣諸島が日本の領土となったのは1895年。日本政府は尖閣諸島を調査し、どこにも所属していない無人島であることを確認し沖縄県に編入しました。その後、政府は実業家の古賀辰四郎に尖閣諸島を30年間無償で貸すことにして、古賀は、尖閣諸島にてアホウドリの捕獲や海鳥糞の採掘、鰹漁などを行いました。当時は、200人ほどの人々がこの知に移り住んだといわれています。

 しかし、古賀の一族らが事業をやめると再び無人島となってしまいました。

 さて、尖閣諸島は沖縄県に含まれるわけですが、その沖縄県が日本になったのは1879年(琉球処分)の時です。

 当時の琉球王国は、清(中国)と日本(薩摩藩)とに両属している状態でした。しかし、日本は強引に琉球を日本の国土に併合します。当時の日本は、欧米列国との不平等条約などで国際的な外交の対処法をすでに学んでいたんですね。清国は、まだその辺が甘く日本は清にしぶしぶ琉球が日本国であることを認めさせました。

 しかし、琉球の人々の中には、これに不満を持つ人も少なくなかったんですね。そういった人の中で清国に救いを求める人もいました。

 清国は、アメリカのグラント大統領に琉球の国土問題について仲介をお願いし、グラント大統領は日本政府と話し合いました。

 その結果、日本政府の伊藤博文らは「日清修好条規を日本に有利なように変更してくれるなら、先島諸島を清国に割譲してもよい」という旨の話をします。日清修好条規は対等条約だったのですが、これを日本の都合のいいように修正してくれれば先島諸島を割譲してもいいよと約束したんですね。

 先島諸島とは、沖縄県の南西部に位置する島々のことです。当時の尖閣諸島は日本の領土とはなっていませんでしたが、先島諸島が中国となっていたならば当然、尖閣諸島も中国になっていたでしょう。

 いったんは、先島諸島の割譲と交換に日清修好条規を書き換えることに同意した清国。1881年2月に先島諸島は清国へ引き渡すことになります。しかし、この約束の調印のギリギリになって清国は、不平等条約を結ぶことを躊躇し、結局は実現することはありませんでした。

 あまり、ニュースや新聞で取り上げられることのない事実ですが、日本はかつて尖閣諸島を含む先島諸島を中国側に割譲しようとしていたんですね。