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歴史年代ゴロ合わせ暗記>聖書の内容

聖書って何が書かれているの?


 別に熱心なキリスト教徒じゃないし、聖書なんて関係ないねっ。という人も多いのではないでしょうか?しかし、世界に目を向けるとキリスト教の信者はおよそ20億人ともいわれています。

 インターネットやSNSで世界が身近に感じられる現在。聖書にどのような内容が書かれているのかを知っておくことも非常に重要なことです。

 では、ざっくりですが、聖書の内容について少しだけ学んでいってみましょう。

 まず、聖書といっても大きく考えて2つあります。「
旧約聖書」と「新約聖書」です。間違いやすいのが翻訳の「訳」と勘違いしてしまう人が多いところ。旧約、新約とは契約の「約」です。古い契約と新しい契約といった意味ですね。では、誰と誰が契約したのか?神様と人間です。

 旧約聖書とは神様との古い契約とし、もともとはユダヤ教徒の聖典です。その後、イエスが誕生し、このイエスこそが救世主であると信じるキリスト教徒たちが新しい神との契約として誕生したのが新約聖書です。

 しかし、この旧約、新約というのは、キリスト教徒から見た呼び名。旧約聖書はユダヤ教、キリスト教にとって聖典ですが、新約聖書はキリスト教にしか認められていません。

 また、聖書というのは多くの本が集まってできたのもですが、キリスト教の中でもカトリックとプロテスタントでは聖書に含む本が多少違っています。日本の書店で販売されているものの多くがプロテスタントの教会で用いられているものが多いようですね。日本キリスト教団や日本聖書協会という記載があるものならプロテスタントです。中央出版とかサンパウロって書いてあれば、それはカトリックです。

 では、次に聖書に書かれている内容をざっくり見ていきます。



 
旧約聖書の内容

 先に述べたように聖書とは多くの本が集まってできたものです。
律法(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)、歴史書(ヨシュア記、士師記、ルツ記、サムエル記、列王記、歴代誌、エズラ紀、ネヘミヤ記、エステル記)、文学書(ヨブ記、詩篇、格言の書、伝道の書、雅歌)、預言書(イザヤ書、エレミヤ書、哀歌、エゼキエル書、ダニエル書、ヨナ書・・・)など多くの本が集まってできています。

 しかし、一般的に知られているのは、律法のところです。旧約聖書では、律法のところくらいは押さえておきたいところですので、この部分だけざっくりお話ししていきますね。

 律法の中での創世記には、天地創造、アダムとイブ、ノアの方舟、バベルの塔のお話が出てきます。

 では、天地創造からです。

 神様は1日目に光と闇を分けて昼と夜をつくりました。夕べがあり朝ができました。2日目には天をつくり3日目には大地をつくり海が生まれ、大地には植物ができました。4日目には太陽と月、そして星ができ、5日目には魚と鳥をつくりました。そして、6日目に獣と家畜、そして神の姿に似せて人間をつくりました。7日目には、ご自分の仕事を完成させ安息をとります。

 なので1週間は7日。そして、最後の日がお休みとなっているんですね。今では、土曜日もお休みなので神様よりも安息してますけどね。

 ですが、ここで注意です。ユダヤ教では、日曜日から始まり土曜日が最後の日。つまり、ユダヤ教にとっては土曜日が安息日となっています。

 さて、この創世記にはアダムとイブ(エバ)の話も出てきます。アダムは土から神によりつくられました。そして、神はそのアダムのあばら骨を1つとり、イブをつくります。二人はエデンの園で暮らしていますが、ある日ヘビにそそのかされ、禁断の果実を食べてしまいます。この果実は知恵の実であり、人間はこれによって知恵を得ますが同時に原罪を背負うことになります。その後、アダムとイブはエデンの園から追放。イブは、子を産むときに痛みを激しく伴うように罰が与えられ、アダムには生涯食べ物を得るために荒れ果てた土を耕さなければなないという苦しみが与えられました。

 また、アダムとイブの子供のカインが弟のアベルを殺すお話も創世記に書かれています。

 さて、次はノアの方舟。これも創世記のお話です。まぁ、これは知っている方も多いですよね。堕落した人間に神が怒り洪水によって人間を滅ぼす決断をするのですが、その際、信仰深いノアにだけは、そのことを伝え方舟をつくらせたというお話です。その方舟にノアと彼の家族、そしてあらゆる動物のつがいが残され生き残ったというのがざっくりした内容ですね。

 さらにバベルの塔の話も出てきます。かつて、人々は同じ言葉を話していたのですが、人間たちは傲慢にも天まで届くような塔を建てました。それを良しとしなかった神は人間の言語をバラバラにし、全地に人々を散らしたという話です。

 どうでしょう。結構、有名なお話ばかりですよね。

 ここまでが律法の中の創世記のお話でした。では、律法の中にある、その他の出エジプト記から申命記には何が書かれているのでしょうか。

 まず、出エジプト記から民数記まで。ここでは、エジプトにて奴隷として苦しめられていたヘブライ人を神様がモーゼを通して救うというお話です。モーゼって誰?あれです。海を真っ二つに割って真ん中を歩いていく人です。CMや映画なんかで、これのパロディを見たことあるますよね。あの人です。

 さて、その時に神は人がどう生きるべきかという指針を人間に与えるんですね。これが「律法」です。その後、モーゼは神との約束の地カナンを前にして亡くなってしまいます。

 最後の申命記は、モーゼの言葉をまとめたものです。ちなみに律法の中の創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記はモーゼが書いたと伝承では言われており、モーゼ五書ともいわれます。

 さぁ、ここまでが最低限、旧約聖書で知っておいた方がいい部分でした。

 あと、1つだけ重要なのが預言書の中のイザヤ書の部分。預言書っていうくらいだから預言が書いてあります。その中でのイザヤ書はイザヤという紀元前七世紀の前半ごろに活躍した預言者であるとされている人物。このイザヤが救世主の誕生を預言しているんですね。

 「見よ、処女が身ごもり、一人の子を産み・・・」

 と、その救世主となる人物の母親の処女懐胎を預言しています。そして、第53章では「〜彼は悪人の数に入れられたからである。彼は多くの人の罪を背負い、罪人のためにとりつぎをした」とその救世主である人物はひどい目にあいながらも人々の罪を背負い死ぬことが預言されています。

 さて、この救世主は誰のことを指しているのでしょう。ピンときますよね。イエス・キリストじゃんか!ってね。

 ですから、キリスト教徒の人にとっては、旧約聖書に書かれていた救世主がイエス様だったんだ!となったわけです。しかし、それはキリスト教徒の人たちの意見。ユダヤ教の人たちからしたら「いやいや、イエスは救世主じゃないよ。ユダヤ教の律法教師の1人にすぎない。我々は旧約聖書に書かれた本当の救世主が現れるのを待つね」ということになります。

 ですから、ユダヤ教の人たちは旧約聖書のみを聖書とし、キリスト教の人たちは旧約聖書も信じるけど神との新しい契約である新約聖書も信じますよってことになったんですね。

 では、次は新約聖書です。


 
新約聖書の内容

 新約聖書も旧約聖書どうようにいくつもの本でできてします。

 
福音書(マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書)、歴史書(使徒言行録)、パウロ書簡(ローマの信徒への手紙、コリントの信徒への手紙、ガラテヤの信徒への手紙、エフェソの信徒への手紙、ピリピの信徒への手紙、コロサイの信徒への手紙、テサロニケの信徒への手紙、テモテへの手紙、フィレモンへの手紙、ヘブライ人への手紙・・・)、公同書簡(へブル人への手紙、ヤコブの手紙、ペトロの手紙、ヨハネの手紙、ユダの手紙)、黙示文学(ヨハネの黙示録)です。

 新約聖書で押さえておきたいポイントは福音書です。福音書とは「良い知らせ」といった意味があります。では、福音書には何が書かれているのか?

 イエス・キリストがどのようにして生まれ、どのようにして愛を説き、どのようにして十字架にかけられたかといった内容が書かれています。

 福音書では、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネとありますがちょっとニュアンスが違うところはあるもののおおざっぱな内容はほとんど一緒です。

 まぁ、初めて読むのであればマルコによる福音書がもっとも短くて読みやすいのでおすすめです。マタイによる福音書なんかは、冒頭に「アブラハムの子はイサク、イサクの子はヤコブ、ヤコブの子はユダ・・・」なんていう系図から始まります。この時点でちょっと脱落しそうな感じです。

 ルカの福音書の著者であるルカはイエスに直接会ったことはありません。イエスの死後に他の宗教から改宗した人です。ただ、順序良く確実にイエスの行いが書かれています。

 ヨハネによる福音書のヨハネはイエスの最初の弟子の1人です。ヨハネによる福音書では、冒頭詩的な表現がされており、これは旧約聖書の冒頭を意識してのことと思われます。また、イエス神性をもっとお強調して書いているともいわれています。

 ところで、イエス・キリストという名前。このキリストというのには「救世主」という意味があります。イエスというのは、当時の男子としてはありふれた名前だったのですが、このイエスこそが旧約聖書に書かれている救世主ではないか!ということでイエス・キリストとなったのです。

 イエス・キリストが十字架にかけらえたのは金曜日です。そして、3日後の日曜日にイエスは復活し人々に教えを伝え天に上ったんですね。ですから、キリスト教の安息日は日曜日となっています。

 以上が福音書の内容です。キリストの誕生から十字架にかけられるまでのお話ですね。

 では、最後に新約聖書の最後に書かれたヨハネの黙示録について少しだけふれておきます。

 紀元90年頃、迫害されパトモス島に流されていた使徒ヨハネが書いた書物ですが、これはキリスト教徒にしか理解できないような奇妙な内容となっています。「小羊のような2本の角があり、竜のようにものを言った」なんていう意味不明な内容。しかし、これは暗号のようなものなのですね。小羊はキリストのことを指しており、角は力と王権を表しているといいます。まぁ、普通に読むとまず理解不能な内容です。

 また、7という数字がラッキーナンバー、6は不吉な数字なんていうのもこのヨハネの黙示録からきているといわれています。7は完全とか完成といった意味で6は7より1つ足りないから不完全といった意味があります。

 このような暗号をなぜ使わなければならなかったのか?そして、暗号を使ってまで何を伝えたかったのか?

 当時のキリスト教はひどい迫害を受けていたんですね。ですから、伝えたい内容は暗号にしなければならなかった。そして、伝えたかった内容とは、迫害されている信徒たちにイエス・キリストが再び現れこの世に君臨するだろうといった内容だったわけです。

 さて、長々と書いてしまいましたが、これでも本当に基本的な内容をざっくりとなるべくわかりやすく記したにすぎません。聖書に書かれた本当の意味、教えなどはすっ飛ばして書いていますのであしからず・・・。