歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記近代ヨーロッパの歴史ピューリタン革命の内容


 

ピューリタン革命A


 前回はピューリタン革命の原因についてお話しました。今回は、ピューリタン革命の内容を見ていきます。

 >ピューリタン革命の原因

 ざっとおさらいですけど、ピューリタン革命はイングランドとスコットランドの王様を兼任するチャールズ1世が議会との関係をこじらせた事に始まります。議会をすぐ解散させたりするくせにピンチになると議会を召集。しかし、その召集された議会では王にNOが突きつけられる・・・。怒ったチャールズは反王派の議員を逮捕に乗り出したりするんですね。それで、もう議会と王との間は修復不可能な状態。そして武力衝突が始まるわけです。

 
王党派と議会派

 国王であるチャールズ1世の周りには主に特権商人や貴族らが集まります。彼らのことを
王党派といいます。対する議会派はちょっと複雑です。

 議会派には派閥がありました。まずは
長老派。比較的、穏便で王とは妥協的です。

 続いて
独立派。彼らは地域ごとの信徒の組織の独立性を主張します。この独立派はジェントリと呼ばれる下級地主層(貴族階級である男爵の下に位置するが、まぁ上流階級)や裕福な市民が集まります。独立派には革命の首領であるクロムウェルがいました。

 その他にも裕福ではない市民からなる
水平派がいました。彼らは議会派のくくりですけど、議員はいません。

 議会派では、長老派以外は皆、「王様なんていらねぇよ」って考え。ですから、議会派の中でも長老派は浮いちゃうんですね。

 そして、1644年の
マーストンムーアの戦いでは、クロムウェルが率いた鉄騎隊が活躍します。1645年にはネーズビーの戦いにて議会派は王党派に勝利しました。

 こうなってくると議会派の中で内部紛争が始まるんですね。よくある話です。達成すべき目的が一緒の時は、多少考えが違っても手を組んで一致団結するけども、その目的が達成されてしまうと元々の考え方の違いから争いが始まっちゃうんですねぇ。

 議会派の場合は、王に対する対応の違いで長老派VSその他の派閥でもめるんです。そして、長老派は議会から追い出されることになります。

 そして1649年にはチャールズ1世が処刑されました。

 その後、クロムウェルは手を組んでいたはずの水平派にも弾圧を加え、1649年から約10年間、イギリス史上唯一の共和政を実現します。

 ここまでの一連の流れをピューリタン革命、または清教徒革命といいます。

 
クロムウェルの独裁

 新しく成立した共和国ではいろいろな問題が起きてくるんです。秩序や経済の混乱やら民の貧困など。また、スコットランドに残る王党派はチャールズ1世の息子を王にしようとしたり、アイルランドでもカトリック教徒の武力的反抗などがありました。

 これを沈めるため、クロムウェルはアイルランドに攻め込み反乱を鎮圧。スコットランドにも攻め入って王党派を破るとチャールズ1世の息子をフランスに追いやります。これによってスコットランドを事実上併合。アイルランドも植民地化してしまったんですね。

 
現在のイギリス


 そして、クロムウェルは反抗を押さえ込み、共和国を安定させるには、権力の強化が必要であると考え、議会を解散。独裁制を樹立し1653年にはみずから護国卿となり政治、軍の独裁権を握りました。

 その後、対外的にはオランダを押さえ、フランスとは有利な通商条約を結び、スペインとの争いに勝利しジャマイカ島を奪うなどしてイギリスの産業、貿易、海外進出の発展を促進しました。