歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記日露戦争ポーツマス条約
   

ポーツマス条約とアメリカの陰謀



日本側から首席全権を得て講和条約に望んだ小村寿太郎

出典:ポーツマス条約 小村寿太郎  


ロシア側首席全権 セルゲイ・ヴィッテ

出典:ポーツマス条約 セルゲイ・ヴッィテ



 日露戦争にて、軍事的に勝利を得た日本でしたが、すでに戦費がかさみ過ぎ、戦う余力は残っていませんでした。そこで、日本はアメリカのローズヴェルト大統領に講和の斡旋を依頼します。

 しかし、日本とロシアの戦争。なぜ、そこにアメリカが介入してきたのでしょうか?

 アメリカにもある思惑があったようです。このポーツマス条約の斡旋を引き受ける代わりに、アメリカは日本にフィリピンの支配を認めてもらおうと考えていました。また、ロシアによる満州支配も警戒していたアメリカは出来る限り、日本とロシアの軍事力が拮抗していることが望ましかったようです。

 そして、1905年8月10日。アメリカのポーツマスにて日本とロシアの講和会議が始まります。当初の日本側の要求は、樺太(樺太は7月31日に日本が占拠していた)の日本への割譲や賠償金の支払い、日本による韓国支配。旅順、大連の日本への割譲でした。しかし、ロシア側、強硬姿勢を崩さず、交渉はうまくはいきません。

 次に行われた会議では(8月18日)、ロシア側が「賠償金の支払いはしないよ。でも、樺太は北と南で分けて半分日本にあげるよ」という提案をしてきますが、これでは日本が納得いかない。

 8月23日の会議で日本は、「じゃ、樺太は半分でもいいよ。でも12億くらいはお金ちょうだいよ。」と妥協を見せるが、ロシアは「だから、お金は払わないっていってるでしょ」とまたもや交渉は難航。

 とはいえ、日本もこのまま交渉決裂でもして、戦争継続などになってしまっては、弾薬も兵力もお金も残っていない。逆にロシアも政府への不満や民衆の生活苦などから国内情勢は悪化していて、こちらも戦争を続けることは望ましくはありませんでした。

 そして、9月5日には双方の妥協案が成立してポーツマス条約が結ばれることになるのですが、結局、日本は南樺太の割譲や大連、旅順の割譲、日本による韓国における優越権などを得ることはできましたが、肝心の賠償金はあきらめる形となりました。

 このポーツマス条約の内容により、日本の民衆は不満を爆発させ、日比谷焼き討ち事件などが起きることになります。