歴史年代ゴロ合わせ暗記 

歴史年代ゴロ合わせ暗記>大鏡

大鏡


 『大鏡』は、作者、成立ともに不明の歴史物語です。作者については、当時の官史の教養書であった『史記』に習った紀伝体(年代を追って出来事を述べる構成を編年体。人物の伝記を中心とするものを紀伝体)という構成を用いていますので貴族の男性の手によるものと考えられています。また、成立は書かれている内容からも平安時代後期ではないかと推測できます。

 書かれている内容としては、藤原氏の摂関政治の歴史についてです。まぁ、学校のテストならこれだけ覚えておけばよいと思います。

 しかし、もうちょっと内容など知りたい方の為に補足程度に『大鏡』についてお話していきますね。

 
・『大鏡』は190歳と180歳という老人の会話で構成された物語

 大鏡は文徳天皇(850年)から後一条天皇(1025年)に至る176年の歴史を描いたものですが、構成としては190歳の大宅世継(おおやけのよつぎ)と180歳の夏山繁樹(なつやまのしげき)が人々の前で昔話を始めるという話となっています。聞き手の中に若侍がおり、彼が質問によって話題を切り出し歴史的事件の真相を明らかにするという盛り上げ役を果たしています。

 なお、大鏡の後に書かれたと思われる『今鏡』という作品は、大宅世継の孫で紫式部に仕えたという150歳の老婆から聞いた話を記したという形式になっております。

 また、その他にも『水鏡』『増鏡』にも『大鏡』は影響を与えており、これらを合わせて「四鏡」と呼ばれています。

 
・大鏡の内容

 大鏡の内容は、文徳天皇から後一条天皇に至る14代の天皇と20人の藤原氏の大臣伝記ですが、中心となるのは摂関政治最盛期の藤原道長の物語で最も躍動的な政治家像として描かれています。

 
・大鏡での有名なお話

 大鏡では、菅原道真も出てきます。学問の神様ですね。しかし、ライバルが藤原時平。彼の讒言により左遷されてしまいます。自らの境遇を悲しみ、道真は庭に咲いた梅の花を見て歌を詠んでいます。

 東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ

 来年の春、東風が吹いたら、その風に託して自分が左遷された大宰府まで香りを届けておくれ梅の花よ。主がいなくなったからと言って春を忘れ花を咲かせないなんてしないでおくれよ。

 また、肝試しのお話は藤原道長の若かれし時の逸話として有名です。

 五月雨の降る陰気な夜。花山天皇と若い公家たちは会談話の流れから道長兄弟に肝試しに行って来いと命令を出します。長兄は豊楽院へ、次兄は仁寿殿へ、道長は大極殿へ。二人の兄は怖くて帰ってきてしまいますが道長だけは、暗闇の中、大極殿へ入り、天皇が儀式などで使う座席の柱を削ってとってきたので皆が感心して驚いた。若き日の道長の豪胆さは、末永く天皇の玉座の柱に刻み付けられてという話です。

大鏡の登場人物
〈語り手と聞き手〉
大宅世継
(おおやけのよつぎ)
190歳。語り手の中心。班子女王に仕えていた。名前は、公の世を語り継ぐ者という意味。
夏山繁樹
(なつやまのしげき)
180歳。世継の話に異論や補足をはさむ。藤原忠平に仕えていた。名前には藤原氏の繁栄といった意味が込められる。
若侍 30歳ほど。質問によって話題を引き出す。物語では、朝廷、藤原氏以外の第三勢力を象徴した登場人物。
〈歴史上の人物〉 
菅原道真
(すがわらのみちざね)
菅家・菅公・菅丞相。藤原時平の讒言により左遷。そこで没した。
藤原時平
(ふじわらのときひら) 
本院大臣・中御門左大臣。道真を左遷させ富士wら市の摂関政治の基礎を築く。 
藤原兼家
(ふじわらのかねいえ) 
大入道殿。東三条殿。一条天皇を即位させるため花山天皇を退位させる。 
藤原道隆
(ふじわらのみちたか)
中関白殿・南院。父、兼家の死後、摂政、関白となり娘の定子を一条天皇中宮とする。 
藤原道兼
(ふじわらのみちかね) 
粟田殿・二条関白。兄、道隆の死後、関白に就任。しかし、その後、すぐに亡くなる。 
藤原道長
(ふじわらのみちなが)
御堂関白・入道殿。兄たちの死後、伊周らを失脚させ権力を掌握。多くの娘を入内させて3代天皇の外戚となり、摂政として政権を独占。 
藤原公任
(ふじわらのきんとう) 
四条大納言。多彩な文化人。 
藤原伊周
(ふじわらのこれちか)
帥殿・儀同三司。道長と争って敗れ左遷される。