さらに、小野小町の歌で有名なものもあります。
「花の色はうつりにけりないたずらに わが身世にふるながめせしまに。」
この歌で、小野小町は自身を花にたとえて、若い頃は花のように美しかったが、年と共に衰えてしまったと言っています。つまり、自他共に認める美女だったということですね。
しかし、この小野小町は、遣隋使で有名な小野妹子(おののいもこ)の子孫であるといわれていますが謎も多い女性です。
まず、いつ生まれて、いつ亡くなったのかが定かではない。大体、825年〜900年ごろを生きた人物ではないか?といわれていますが、決定的な史料などは見つかっていません。
また、小野小町という名前も本名ではないらしい。当時、「町」とは、後宮に仕えた女性を意味していると言われており、小野小町は姉と共に宮仕えしていた為、妹の小野小町の方が「小町」といわれるようになったとも言われています。
さらに、小野小町の祖父は、あの空海とならび称された小野篁(おののたかむら)という歌人であり学者だった人物だといわれていますが、この人物が生まれたのは802年なので小野小町が活躍したであろう時代とズレが生じます。
となると、家系図が事実と違うのか?或いは、やはり小野小町の生没年がズレているのか?現在残された史料からでは、小野小町が美女であったということくらいしか分からないようです。
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