オーストラリアの歴史
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オーストラリアというとカンガルーやコアラといった野生動物や自然が豊かなイメージがありますね。しかし、疑問に思ったことはありませんか?
なんで白人の人が多いんだろう?
オーストラリアに近く国と言えばパプアニューギニアやインドネシア。アジア系の人種ですね。しかし、オーストラリアに住む人の多くはガッツリ白人。なんで?
では、それらの疑問も踏まえオーストラリアの歴史について学んでいきましょう。
オーストラリアの文明の歴史は古く5〜6万年ほど前からアボリジニと呼ばれる人たちが住んでいましたと言われています。なんとなく聞いたことはある人も多いんじゃないですかね。アボリジニ。
(写真は1858年の物とされている)
しかし、時代はヨーロッパ人が航海に出てどんどん大陸を発見し先住民から土地や命を奪っていく時代に突入していきます。
オーストラリアも例外ではなく、1520年代にポルトガル人がオーストラリア大陸に接触したといわれています。これが最初のヨーロッパ人によるオーストラリア発見といわれていますが、当時、オーストラリアには価値のある産物などを見つけ出すことが出来ず、その後、あまり熱心に探索されることはありませんでした。
ですが、1642年にオランダ人タスマンがタスマニア島、ニュージーランドを発見。
1688年にはイギリス人のウィリアム・ダンピアが西海岸に上陸。
そして、1770年にはイギリスの海岸士官ジェームス・クックがエンデバー号で現在のシドニー郊外ボタニ―湾に上陸するとイギリス領としてイギリスの支配下に置くことを宣言します。
1787年に退役将校のアーサー・フィリップが初代総督を任されますが、当時オーストラリアに渡ってきたのはイギリスの犯罪者を中心とした1500人!
なんで犯罪者がオーストラリアに送られてきたのか?
実は、その頃のイギリスは産業革命によって工場を造るために農家の土地なんかは奪われ、急激な機械化によって失業者が多くおり治安が悪化していたんですね。もう、囚人を収容する場所もないくらいに・・・。そこでアメリカに彼ら囚人を送っていたんですが、1776年にアメリカは独立していまいます。
そこでオーストラリアがいいんじゃない?ってことになったんですね。
ちなみに1787年の1月26日に犯罪者中心とはいえ1500人の入植者がオーストラリア大陸に上陸したので、その日がオーストラリアの建国記念日となっております。
さて、ここからは、アメリカ大陸でも先住民から土地と自由と命を奪ったようにオーストラリアでも先住民のアボリジニからそれらを奪っていきます。
その後もイギリスからどんどん移民は流れ込み1827年にはイギリスはオーストラリア全土の領有を宣言。1840年に流刑(囚人を送り込む)を廃止しました。
そして、1851年にオーストラリア各地で金がとれる鉱山が発見されます。ゴールドラッシュです。これで、富を求めて多くの人が雪崩込んできます。
富を求めるのは白人だけではありません。多くの中国人などアジア系の人々も押し寄せてきます。そこで彼らを排斥しようと白人優先政策(白豪主義)も採られました。
1901年にはオーストラリア連邦が結成され、イギリス国内の自治領として一応の独立を果たします。
1914年の第一次世界大戦では、イギリスに協力し40万人もの兵士を派遣。
1939年からの第二次世界大戦でもイギリスと共に連合国側として参戦しております。
1986年にオーストラリア法が制定。これによってイギリスからの司法上の完全独立を獲得します。
しかし、現在でもオーストラリアの元首はイギリスのエリザベス2世女王なんですね。まぁ、連邦総督が王権を代行している形ではあるんですが、イギリスとの間柄は緩やかな国家連合という形です。
1999年に現在の立憲君主制から共和制への移行の国民投票が行われましたが、結果は立憲君主制の継続となっております。
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