ノーベル賞
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1833年にスウェーデンで生まれたダイナマイトの発明者、アルフレッド・ノーベルの遺言により開始されたノーベル賞。このアルフレッド・ノーベルはいったい、なぜノーベル賞を作ったのか?また、ノーベル賞の分野は5つとも6つともいわれているけど、その本当はどちらなのか?それらの疑問を紐解いていきましょう。
アルフレッド・ノーベルの生涯
アルフレッドのノーベルは1833年にスウェーデンのストックホルムで生まれます。父親は発明家であり起業家でしたがノーベルが生まれた当時は、事業がうまくいかずに破産宣告を受けた直後という悲惨な状態でした。しかし、1837年には父が機雷という爆発物の製造で成功し家庭は裕福になっていきます。機雷というのは水中で爆発する爆発物で戦艦などを攻撃するときに使う爆弾です。水中爆弾ですね。当時は、クリミア戦争の最中であり、需要とのタイミングがバッチリだったわけです。ですが、そんな裕福な生活も長くはつづきませんでした。戦争が終わると売り上げが激減。1859年にノーベル一家は再び破産することになります。
しかし、そんな中でもノーベルは父の影響もあり爆発物の研究に熱心でした。当時は、黒色火薬という物が使われていましたが、1846年にイタリアの科学者、アスカニオ・ソブレロによってニトログリセリンという物が初めて合成に成功します。このニトログリセリンの威力はすさまじいものでしたが使いづらいんです。少しの衝撃でも爆発してしまうので危なくて実際には使用できない。そこでノーベルは、このニトログリセリンを一般的には使用できる方法を考えます。
ニトログリセリンの合成成功から10年後、起爆装置を開発。狙ったタイミングで爆発させる方法を編み出します。しかし、これでも動かしただけで爆発してしまうのでまだまだ危ない!1865年に爆薬を詰める金属管である雷管を発明します。
この開発期間にも爆発事故によって弟が亡くなったりと多くの事故もありましたが、1866年についにニトログリセリンを珪藻土に染み込ませることで安全に使用できるようなることを突き止めます!これがダイナマイトですね。このダイナマイトの発明により工事現場や採掘場での作業効率は圧倒的に向上。ノーベルは莫大な財を築き上げることになりました。
しかし、爆発物ですから工事などで使用する以外にも戦争にも使用されるんですね。ノーベル自身は平和主義者であり、ダイナマイトは国々の抑止力、つまり「こんなに危ない爆発物が開発されちゃったから戦争したら多くの人が死んじゃうから戦争やめとこ」ってなると考えていたようですが、実際には戦争にガンガン使われちゃうんですね。
そんな時、新聞社がある記事を掲載しました。1888年のことです。「死の商人」アルフレッド・ノーベル死す!ノーベルの兄の死を勘違いして掲載してしまったんです。ノーベルとしては、「うわ〜。自分が死んだら死の商人扱いされるんだ〜」とショックを受けました。これがノーベル賞のきっかけといわれています。
ノーベルは、1985年に自分の死後は「人類の進歩に貢献した人には賞金をあげてくれ」と遺言を遺し、翌年亡くなります。
1900年にはノーベルの遺した莫大なお金を元にノーベル財団が設立されます。ノーベルの遺産を株式投資などで運用し、そのお金でノーベル賞を受賞した人物には賞金が渡されることになりました。ちなみに寄付金などもノーベル賞では受け付けていません。選考の中立性が無くなってしまいますからね。ノーベルの遺産と運用だけで賄っているので当時のノーベルの財産がいかに大きかったかわかりますね。
ノーベル賞の部門はいくつ?
さて、このノーベル賞ですが5部門とも6部門ともいわれています。
物理学賞、化学賞、生理学・医学賞、文学賞、平和賞の5つが当初の部門です。しかし、1968年にスウェーデンの国立銀行の呼びかけで経済学賞が追加?されます。ですが、この経済学賞だけは正式な名称はアルフレッド・ノーベル記念スウェーデン国立銀行経済学賞。賞金もスウェーデン国立銀行から出されているので純粋なノーベル賞とはちょっと違うんですね。
ノーベル賞はいくら貰える?
日本円にしておよそ1億円もらえます。円高円安で変わってきますのでおよそ1億円ですね。
平和賞だけノルウェーの委員会が選定しているのはなぜ?
物理学、科学、生理学・医学、文学はスウェーデンの専門機関が選定していますが、なぜか平和賞だけノルウェーの委員会が選定します。ノーベルが遺言を書いた当初はスウェーデンとノルウェーは同君連合といって同じ王様の2つの国だったんですね。しかし、立場的にはノルウェーが下。ノルウェーがスウェーデンに併合されているような状態だったんです。ノルウェーとしては、スウェーデンから離れたいし、スウェーデンとしては武力行使してでもノルウェーを独立させたくないと一触即発状態だったんです。諸説ありますが、ノーベルとしては、この状態をなんとかしたいとあえて平和賞はノルウェーに選定してもらうようにしたといわれています。結果的には1905年に平和的にノルウェーはスウェーデンから独立しています。
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