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歴史年代ゴロ合わせ暗記>二宮金次郎
 

二宮金次郎(二宮尊徳)ってどんな人?

  

出典: ウィキメディア・コモンズ(Wikimedia Commons)
 

以前は、どこの小学校にでもあった二宮金次郎の銅像。現在では、「歩きながら本など読んだら危ないじゃないか!」といった話も出てきて、座りながら本を読む二宮金次郎の銅像なども登場しているそうです。もっともな、意見ですが、ちょっと残念な気もしますね。

この二宮金次郎って勤勉で有名ですが、どんな生涯を送っていたのでしょう。

二宮金次郎は1787年に現在の神奈川県の農家で生まれます。幼少時に川の氾濫により親の田畑が無くなってしまいます。その後、金次郎14歳の時に父親を失い、2年後には母親も死去。その後、金次郎は叔父の家で育ちます。

二宮金次郎は、夜に勉強するのは油の無駄だと叔父に怒られますが、それならばと自身で植えた菜種からとれる油で火を灯して勉強したといわれています。また、田植え後に落ちている稲を拾い集めて、自分の田に植え米を収穫したという逸話も残っています。

その後、二宮金次郎は、小田原藩の家老・服部家に奉公し、その子弟が通う学校にお供するのですが、そこでも金次郎は、中からもれてくる先生の授業に耳を傾け勉強しました。

そうして勉強を重ねた二宮金次郎は、奉公先の服部家の財政立て直しを頼まれ、見事成功!その才を認められた二宮金次郎は現在の栃木県各地でも所領の再建などを頼まれ成功させていきます。

この二宮金次郎の財政再建の方法は報徳仕法(ほうとくしほう)とよばれ、多くの賛同者が生まれました。

ちなみに二宮金次郎は子供時代の名前です。本来は、二宮金
郎というらしいのですが、二宮金次郎のほうが有名ですね。ちなみに、大人になってからは、二宮尊徳となりますが、この尊徳も「そんとく」という送り仮名が一般的ですが、本来は「たかのり」と読むそうです。