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文在寅(ムン・ジェイン)大統領


 韓国の19代大統領
文在寅(ムン・ジェイン)大統領。反日などと言われていますが、本当のところどうなんでしょう?

 今回は、文在寅大統領について学んでいきます。



 文在寅が生まれたのは1953年。1950年に始まった朝鮮戦争において北朝鮮と韓国は戦争を開始しました。韓国側はアメリカを中心とした国連軍が支援。北朝鮮には中国が支援します。

 まずは、北朝鮮が突如、南に侵攻し朝鮮戦争が始まりますが、国連軍は反撃に出て中国と朝鮮の国境にまで攻め込むと中国が危機感を抱き大軍を送り込み、国連軍を包囲します。

 国連軍は、何とか中国の人民義勇軍を突破し、北朝鮮の興南にたどり着くと輸送船で撤退を開始しますが、その時に多くの北朝鮮からの避難民を救出します。その避難民の中にいたのが文在寅の両親でした。

 その輸送船がたどり着いたのが韓国南端の巨済島。無一文で逃げ延びてきたわけですので、もちろん生活は楽ではなかったようです。学校に弁当を持っていくのもままならない生活であったといいます。

 高校3年の時にソウル大学の受験に失敗しますが、1年間の浪人生活を経て、全額奨学金を受けソウルの私立大学キョンヒ大学法学部に合格。その後は、学生組織の幹部となり、朴正煕大統領の軍事独裁政治への批判からデモを主導したりしています。

 ですが、このデモのおかげで逮捕。努力して入学した大学も除籍となってしまいます。

 そして、民主化運動を主導したとして、軍隊に強制入隊。それも最前線の部隊です。かなり、苦しい訓練を強いられたといいますが、1978年に除隊となり復学すると、またもや民主化運動に参加し拘束。司法試験を受けていましたが、合格通知は留置所で受け取っています。

 1982年に釜山にて弁護士となり、この時に知り合ったのが同じ弁護士の
廬武鉉(ノムヒョン)です。後に16代大統領となる人物ですね。


(廬武鉉)

 彼らは合同で弁護士活動を行いますが、当時、大統領であった全斗煥(チョン・ドゥファン)の軍事独裁政権を批判し民主化運動にも取り組んでいます。

 これら、民主化運動、デモの動きが1987年の盧泰愚(ノ・テウ)大統領候補による民主化宣言にもつながっていきます。

 民主化直後の1988年には、当時野党で後に14代大統領となる金泳三から廬武鉉と共に文在寅も政界進出を勧められるが廬武鉉は政界入りを決断するも文在寅は断ります。政治家よりも弁護士の仕事を続けたかったようです。

 2002年に廬武鉉が大統領に立候補すると釜山選挙対策部長を務め、やっと政界とのつながりが見えてきます。

 2003年に廬武鉉が大統領に当選すると大統領府民情主席に就任。しかし、1年でやめてしまいます。しかし、2004年に廬武鉉が弾劾訴追されると文在寅は弁護団幹事となり廬武鉉を助けました。

 2007年には廬武鉉政権の大統領秘書室長、第二回南北首脳会議推進委員会委員長を歴任。

 2008年に廬武鉉が大統領の任期を終えると同時に文在寅も弁護士に戻り、政治からは離れます。しかし、その廬武鉉が収賄の容疑で事情聴取され自殺してしまうと政治活動を活発化させています。

 文在寅は、廬武鉉の自殺前までは、政治よりも弁護士として仕事を全うしたいと考えていたようです。政界入りを勧められても断っていますし、廬武鉉が大統領の任期を終えると同時に弁護士へと戻っています。

 しかし、廬武鉉亡き後、「私はあなたの残した宿題に縛られることになりました」と語っていることからも、廬武鉉が果たせなかった仕事を自分が全うしようと考えたのかもしれません。

 2012年に国会議員選出、議員1年目にして大統領選挙に出馬するも朴槿恵候補に敗北。2017年に朴槿恵大統領の罷免を受けて実施された大統領選挙に出馬し勝利、19代大統領となります。

反日大統領・文在寅