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宮永スパイ事件

 
 昭和55年(1980)1月、元陸上自衛隊陸将補で電気製品販売会社の社長であった宮永幸久(みやながゆきひさ)が自衛隊法の守秘義務違反で逮捕されました。

 宮永は日本人でありながらソ連のスパイになっていたのです。

 きっかけは、定年をまじかに控え、昭和48年12月に再就職先を求めてソ連大使館の武官に相談したことでした。宮永は陸将補という高級将校までいった人物であり、ソ連情報の専門家で調査学校の副校長も務めています。

 最初は、対ソ連の貿易関係の商社を希望していたようですがうまく話が進まず、定年を迎えた後は、徐々にソ連が求める中国の情報を渡し現金を受けてるようになっていきます。

 時代は、中国とソ連とが対立していた時代末期。日本の防衛庁が集めた中国の情報をソ連は欲しがっていたんです。そこに適任とも思える人物、宮永が現れたわけですね。

 宮永は、昭和51年になると自衛隊時代の部下から秘密文書の保管事務を担当する隊員を紹介してもらい、自分で研究するためだと嘘をついて秘密文書を入手します。その情報をソ連に渡していたわけです。

 ただ、情報を渡していたわけではなく、決められた場所や箱などを使い顔を合わすことなく情報を受け渡したり、特定の場所に印をつけて連絡するといったやり方やソ連の暗号通信による指令を受け取るための乱数表や放送日程などを知らされており、完全にスパイとしてソ連のユーリー・コズロフ大佐に動かされていました。

 しかし、これらの動きを警視庁公安部外事1課もつかんでいました。また、自衛隊の中央調査隊も捜査を開始。その結果、宮永がコズロフ大佐にすれ違いざまに情報を渡す現場を確認され、家宅捜索の結果、現職の尉官2名とともに逮捕されます。

 コズロフ大佐の方は、外交特権があるので日本の警察では直接逮捕はできません。外務省を通してソ連大使館に出頭を求めますが、コズロフはその日の内にソ連へと帰国してしまいました。

 逮捕された宮永は、昭和55年(1980)4月に判決を言い渡されますが、なんと懲役1年。元部下の2人は懲役8カ月でした。

 なぜ、こんなにも軽い刑罰なのか?

 宮永の罪は、国家公務員法による守秘義務違反。”職務上知りうることのできた秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後といえども同様とする”という守秘義務に背いたということなんですが、当時はこの罰則が「最高1年の懲役または最高50万円の罰金」だったんですね。

 宮永の場合は、防衛庁が集めた中国の情報をソ連に渡していたわけですが、これが日本の情報だったといても同様です。ただし、例外があります。

 アメリカの情報です。

 もし、宮永がアメリカの情報をソ連に渡しており、警視庁外事課が捕まえていたら日米安全保障条約に基づく刑事特別法が適用され最高で懲役10年の可能性があったんです。

 これは、おかしいですね。

 やっと改正されたのは平成26年12月10日。特定秘密保護法により国家の秘密を漏らした場合、最高10年の懲役になるようになりました。