水戸黄門
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水戸黄門の名で有名な徳川光圀とは、徳川家康の孫であり、水戸藩初代藩主である徳川頼房の3男です。美人の誉れ高い祖母と母を持ち、実際にはかなりのイケメンだったといわれています。
さて、時代劇では諸国漫遊をし、悪者たちを助さん、格さんと共に成敗して旅をするイメージが強いのですが、実際の徳川光圀は、一番遠くまで行ったのが熱海の温泉であったといわれています。実際には、あまり旅を遠出はせずに江戸と水戸の間を行き来していたくらいだったそうです。
しかし、なぜ光圀が諸国を旅して歩いていたということになったのかというと光圀が『大日本史』の編纂をしたということに関係があるようです。
徳川光圀は、学問や歴史に深い関心を示しており、『大日本史』の編纂の際、その史料集めの為に家臣達に全国を歴訪させました。実際、光圀自身は旅をしていないわけですが、家臣たちが旅して歩いていたために光圀といえば全国を旅して歩いたというイメージに繋がったのでしょうね。
ちなみに助さん、格さんのモデルになったとされる人物に佐々介三郎(助さん)・安積覚兵衛(格さん)という人物がいますが、彼らは光圀の側近であり、共に『大日本史』の編纂に関わった家臣です。助さんのモデルの佐々の方は光圀の命令で実際に諸国を史料集めのために旅をしています。格さんのモデルの安積の方は佐々のように諸国を周るようなことはなかったようです。ただし、2人とも武士ではあるものの基本は学者でしたので悪代官たちの周りの部下たちをバッタバッタと斬り倒すほどの武術や剣術は持ち合わせていなかったと思われます。
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