369年 日本は朝鮮半島の一部を支配していた?
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1910年から35年間、日本が朝鮮を植民地としていたのはご存知かと思います。豊臣秀吉の時代にも朝鮮に出兵していますね。
ですが、それよりずっと前、369年に日本は朝鮮半島南部の一部である任那(みなま)という地域を支配し、その一国である安羅という場所に日本府を置いていたというのは知らない人も多いのではないでしょうか?
時代は、ヤマト王権の時代です。日本書紀によれば、ヤマト王権は神功皇后摂政49年(369年)に朝鮮に出兵し任那を征服しました。そして、その後、新羅に奪われるまでのおよそ200年間、ヤマト王権はその地に任那日本府を置いたと書かれています。
しかし、よくよく調べてみれば、当時、まだ日本という国名は存在していなかったはずなんですよね。それなのに何で「日本府」という名称が使われているの?これは、日本書紀の創作なんじゃないの?と疑問の声も出ておりました。
でも、実は、日本書紀だけでなく、中国や朝鮮の史書にもヤマト王権の朝鮮半島への進出を示す史料は存在しているんですね。また、日本特有の前方後円墳が朝鮮半島にも存在していることや高句麗の王の業績を称えた石碑に「海を渡ってきた倭が百済や新羅を破って臣民とした」と書かれていることからも、現在ではヤマト王権と関わりをもった集団が任那にはいて、軍事的、経済的にヤマト王権は一定の影響力を持っていたことは間違いないのではないか?とする歴史家の方が多いようです。
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