歴史年代ゴロ合わせ暗記 

歴史年代ゴロ合わせ暗記>ミグ25事件

ミグ25事件

 
 昭和51年(1976)9月6日ソ連のミグ25戦闘機が函館空港に着陸するという事件が起きました。

 アメリカへの亡命を望むヴィクトル・ぺレンコ防空軍中尉が演習中に急降下し日本に向かってきたのです。日本の防空レーダーがそれを捉え、すぐさま航空自衛隊千歳基地から戦闘機F-4EJが緊急発進します。

 しかし、ミグ25戦闘機はソ連のレーダーに感知されるのを恐れ超低空飛行。なんと、それで日本のレーダーからもミグ25は消えてしまったのです。



 そのままミグ25は旅客機の離発着する函館空港に滑走路を大きく外れ着陸。実は、ミグ25の本当の目的地は自衛隊の千歳基地でぺレンコは超低空飛行していれば自衛隊がそこまで案内してくれると考えていたらしいのですが、レーダーから外れていますので、自衛隊の戦闘機も現れません。そこでやむなく函館空港に着陸したといいます。

 急に現れたソ連のミグ25戦闘機。これに、日本の防空能力はどうなっているんだと大問題。さらに、この時、いわゆる有事法制、つまり日本が武力衝突や侵略を受けた際に自衛隊の行動を定めた法制がないことが露呈したのです。

 何しろ、最初にミグ25をレーダーで捉え、すぐさま緊急発進したF4EJ戦闘機は「兎に角、飛べ!支持は、その後出す」という具合に何の支持も無きまま飛び立っています。もし、これが爆弾でも持ってきていた敵だったら重大な被害を受ける可能性もあったわけです。

 この事件をきっかけに日本では、低空目標を探索、攻撃を誘導できる早期警戒機E-2Cを導入することになります。



 また、ミグ25が着陸した後も空港の航空管制官が自衛隊に連絡、しかし、自衛隊は警察に電話しろといい、警察は、いやいや自衛隊とたらい回し。最終的には結局、北海道警察がやってくるもののアメリカへの亡命を希望しているとのことで翌日東京に移送されます。

 さらに問題だったのが機体の検査。ミグ25は、それまで謎に包まれており、「噂ではマッハ3の速度で飛行するらしい」といわれ脅威に思われていました。

 実際に解体してみるとチタン合金で作られていると思われていた機体はニッケル鋼で出来ており、電子機器でも半導体ではなく真空管が多用されておりました。思っていたよりも素材を使っており、電子機器などの最先端技術よりも信頼性の高い部品を採用しているということがわかります。

 用途としては、侵入してくる敵を高速で高度をとり撃ち落とす防空戦闘機。つまり、格闘戦用の戦闘機ではなく、防空用だったわけです。

 機体は11月15日にソ連に返却されますが、ソ連は防空システムの変更を余儀なくされます。

 この「ミグ25事件」をきっかけに有事法制が議論されるようになりました。

 しかし、有事法制というのは日本にとっては非常にデリケートな問題。議論になれば、日本がまた戦争をやろうとしていると海外からは攻め立てられ、国内からも防衛とはいえ不安の声が当然あがります。

 「有事3法案(武力攻撃自体等対策法案・自衛隊法改正案・安全保障会議設置法改正案)」が成立したのは平成15年(2003)になってからでした。アメリカの同時多発テロ、北朝鮮問題などが追い風となり法制化されます。