メキシコの歴史
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多くの古代文明が栄えたメキシコ。世界有数の観光地でもありますので一度は行ってみたいと思う方も多いのではないでしょうか。
今回は、このメキシコの歴史について学んでいきましょう。
メキシコの古代文明
メキシコにて最初の文明が興こったのは紀元前1200年頃といわれています。これがオルメカ文明です。巨大な石造で有名ですね。
そして、紀元前数百年頃になるとマヤ文明が栄えます。このマヤ文明はユカタン半島の台地に興るのですが、ここには海とか大河がないんですね。当時の古代文明といえば、大河とか湖の近くというのが一般的でしたがマヤ文明の興った付近にはこれがありません。
また、天体の動きに精通しており、マヤ文字という文字も使い、正確な暦も使っていおりました。
紀元前後には、テオティワカン文明が興ります。太陽のピラミッドや月のピラミッドが有名です。
太陽のピラミッド
月のピラミッド
その後は、7世紀ごろにテオティワカンが崩壊。小さな国がいくつも分裂して存在する時代に突入します。
スペインによる征服
15世紀前半になるとアステカ族によってテノチティトランという都市が栄えます。非常に大きな都市でした。
しかし、1519年にスペイン人がやってきます。アステカの人たちは信仰する神が白い顔の持ち主であり、1519年に復活するという神話を信じており「おぉ、本当に神が復活した〜」と喜んでしまったんですね。
ですが、ホントは侵略者。無警戒だったアステカの人たちは簡単にやられてしまい、また天然痘や麻疹といった病気に免疫を持っていなかったアステカ人はスペイン人が持ち込んだ、これらの病気で多くの人が死んでしましました。
アステカを滅ぼしたスペイン人は、アステカと争っていた西のタラスコ王国も征服。広大な領土を支配します。現在のメキシコはもとより、カリフォルニア、テキサス、フロリダなどです。
メキシコ独立運動
1776年にアメリカが独立するとメキシコでも「俺たちも独立しよう」という声が上がってきます。中心になったのはメキシコ生まれのスペイン人です。
当然、弾圧されますが、1808年には本国スペインがナポレオンの侵略を受けます。そして、1810年にメキシコ独立運動が本格化します。
この時に武装蜂起したのがカトリック司祭でもあったミゲル・イダルゴという人。メキシコ独立の父と言われることになる人物です。しかし、残念なことに捕らえられ殺されてしまいます。
その後、イダルゴの意志を継いだホセ・マリア・モレ―ロス神父が戦い、1813年に一度は独立を宣言しますが、新政府内でもめごとが起こり、結局、彼も捕えられ処刑されるのでした。
メキシコがスペインから独立を果たすのは1821年。この独立の中心となった人物は、なんとスペイン軍側のアグスティン・デ・イトュルビデという軍人です。
彼は、メキシコ生まれのスペイン人でしたが、本国スペインで自由主義的な革命が起こり、それに失望していたんですね。それで寝返ったわけです。
それまでの独立運動の中心人物は神父など、まぁ、いうなれば素人ですが、イトゥルビデは軍人、戦いのプロです。見事、スペイン軍を打ち破り、事実上の独立を果たします。
米墨戦争(アメリカとメキシコの戦争)
やっとのことでスペインから独立を勝ち取ったメキシコでしたが、次なる相手はアメリカでした。
独立後まもないメキシコはテキサスを開発するために東となりのルイジアナ方面からアメリカ人を好条件で招き入れていたんですね。これで、多くのアメリカ人がテキサスにやってくることになります。
ところが、テキサスにやってきたアメリカ人たちは人種の違うメキシコよりもアメリカと仲良くしていきたいわけです。そして、1835年にテキサスとメキシコで独立戦争が勃発します。これにメキシコは敗北。1842年にテキサス共和国が独立します。
待ってましたとばかりに1845年にアメリカがテキサスを併合。メキシコは、これに抗議し1846年にアメリカ・メキシコ戦争(米墨戦争)が始まります。
この米墨戦争にメキシコは敗北。メキシコはカリフォルニアを含む、国土の半分ほどをアメリカに奪われてしまいます。
国土の半分も奪われてしまいメキシコの国民も嫌気が差し始めます。そして、内戦が勃発。改革を推進する派閥のリーダーであるフアレスが1861年に先住民出身の初の大統領となりますが、その頃のメキシコは財政がかなり厳しくなっていました。テキサスとの戦争やらアメリカとの戦争やらに内戦ですからね。お金もなくなります。
「まぁ、フランスとイギリス辺りからお金借りればいいか!」って、軽い気持ちで乗り切ろうとしたんですが甘かった!
財政は借りたお金を返せる見込みもないほどに悪化していたんです。そこで、どうするか?
なんと、借金の踏み倒しです。
当然、怒ったフランス、イギリス、そしてスペインがメキシコに出兵します。しかし、メキシコいじめたところでお金はでません。それどころか、戦費負担の分、損しちゃう・・・。
1862年にイギリスとスペインは撤退しますが、ナポレオン三世の第二帝政下のフランスだけは、メキシコ全土を占領しようと諦めません。1864年にはオーストリア皇帝の息子マクシミリアンを皇帝としてメキシコ帝国を打ち立ててしまいます。
このメキシコの窮地を救ったのがなんとアメリカでした。
南北戦争を終えたアメリカはメキシコの独立回復を支援。マクシミリアンは処刑され、メキシコは独立を回復することができました。
メキシコ革命
ここからは、ちょっとゴチャゴチャしてきます。
まず、メキシコは独立を果たしたものの混乱状態。その混乱の中、独裁を確立したのが軍人のディアス。このディアスの独裁は30年以上も続きますが、1910年についにメキシコ革命と言われる断続的な政争が始まります。
すでに80歳になっていたディアス大統領の再選に対して、富豪のマデーロがそれを阻止しようと立候補。しかし、ディアスは不正な手段で大統領に再選しマデーロを国外追放します。ですが、そのディアスの行動に反発が起こり、逆にディアスが国外追放。その後、マデーロが正式に大統領となります。
しかし、マデーロが大統領になると今度はウエルタ将軍がクーデターを実行。マデーロは処刑されます。
ウエルタ将軍が臨時の大統領を務めますが、ウエルタ将軍の行動に反発した革命派が一気にウエルタ打倒に立ち上がります。
サパタ、ビリャ、カランサ、オブレゴンらの革命派がカランサを代表に武装蜂起。しかし、次第に彼らは分裂・・・。カランサは、民主的な制度には賛成ですが、農地改革には興味なし。一方のサパタ、ビリャは農地改革を強く希望。オブレゴンは農地改革には賛成ですが、柔軟な考えで次第にカランサに接近していきます。
サパタ、ビリャとカランサ、オブレゴンという対立になるのです。
革命は成功し、サパタ、ビリャらは政権を握る意志がなかったためにカランサ支配権を握り、1917年に民主的な憲法を制定します。
しかし、カランサ陣営の将軍らが制定した憲法には農地改革などサパタ、ビリャらの主張を大いに盛り込んだものでした。
カランサは、この憲法を殆ど無視して政治を行い次第に支持力を低下させていきます。そして、反乱軍に殺害され、オブレゴンが大統領に就任しました。
オブレゴンはサパタ派やビリャ派とも和平を結びます。
その後、1934年にカルデナス大統領が誕生。この大統領の誕生により、ついに農地改革を断行。鉄道、石油の国有化と大きくメキシコが変わっていきます。
メキシコの経済成長
カルデナス退陣後、第二次世界大戦では連合国側で参戦し戦勝国に。その後、制度的革命党による一党独裁が始まります。
冷戦下では親米体制とし1970年代までにメキシコの奇跡といわれるほどの経済成長を実現します。しかし、経済成長の陰で貧富の差が広がることになり、次第に経済も悪化。
2000年に国民行動党のケサーダ大統領が選出され一党独裁体制は終わりを告げ、2018年に発足したロペス・オブラドール政権は「100の公約」として大々的な変革を目指しています。
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