歴史年代ゴロ合わせ暗記  

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マゼラン


 1519年9月に出航して世界周航の旅に出たのがマゼラン一行です。出発は270人、5隻という大掛かりな出航でした。



 このマゼランをバックアップしたのがスペイン国王、カルロス1世。しかし、実は、このマゼランはポルトガル人なんですね。ですから、最近では、マゼランのことをマガリャンイスと表記している教科書もあるようです。

 彼らは、まず、大西洋を渡り、南米で越冬。その後、マゼラン海峡と後に言われることになる海峡を通過し太平洋にますが、ここに至るまでにすでに船は3隻にまで減り、出航から1年2ヵ月が経っておりました。グァム諸島にたどり着くのが1521年2月。その後、マゼランにとって運命のフィリピン島に到着しました。

 フィリピンはこの頃、イスラム教。これをマゼランはキリスト教への改宗を強要し、スペイン王への貢物までよこせと命令します。

 これに対抗したのがフィリピンの英雄、ラプラプ。マゼラン一行は、槍や鎧、火縄銃や大砲などを持っていましたが、ラプラプらは、島の地理を知り尽くしており、マクタン島の海岸を決戦地に選びます。そして、干潮で船が岸に近づけず砲撃を諦めて上陸したマゼランらに対して一気に攻撃!見事マゼラン軍を撃退します!(マクタン島の戦い)

 この戦いによりマゼランも戦死してしまいます。ですから、実際、世界一周を果たしたのは、マゼランというより、
マゼラン一行ということになりますよ。

 マゼランを失った一行はフィリピンを引き上げ、スペインに帰国目指します。

 そして、1522年9月。マゼラン一行はスペインに到着しました。帰国できた船は「ビクトリア号」ただ1隻。世界一周を成し遂げ帰ってきた乗組員はわずか18名でした。

 しかし、史上初めて世界一周を成し遂げたマゼラン一行の帰国はヨーロッパ中で熱狂的に受け入れるのでした。

マゼラン一行のルート