宦官の父からなぜ曹操は生まれたのか
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三国志で有名な曹操。この曹操の出自は、宦官の家系です。宦官とは、政治的に大きな力を持っていますが去勢されているため、子孫をもうけることが出来ません。
では、なぜ曹操は生まれてくることが出来たのか?
実は、陽喜4年(135年)に宦官が養子をとって爵位を継承することが許されるようになっていたんですね。この宦官制度の変更によって曹操の祖父である曹騰(そうとう)が養子をとったんです。それが曹操の実の父、曹嵩(そうすう)でした。
曹操の祖父、曹騰はすでに権勢を振るっておりましが、養子となった曹嵩も178年に設けられた「売官制度」によって都合1億銭の賄賂や献金を使って太尉にまで昇りつめます。
この曹操の父である曹嵩ですが、実はその家系がよくわかっておりません。
定説では、夏侯氏の子で夏侯惇の叔父だとされていますが、後に曹操を糾弾する檄文にて「物乞いの出である」とされたこともあります。たしかに当時の宦官の中にはため込んだ収賄の金で奴隷を買い取り、彼らを官僚にして地方長官のポストにつけていた者もいるので可能性としてはあるわけですね。
しかしながら、そういった環境が後に曹操に大きな影響を与えたことは間違いないでしょう。
曹操は、三国志の中でも特に経済に対する認識ではずば抜けています。経済力がいかに勝敗を左右するかをよく理解していたわけですね。
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