歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記歴史の真実柿本人麻呂
   

万葉集を代表する歌人・柿本人麻呂ってだれ?


 柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)は、万葉集を代表する歌人でありながら、実は詳しいプロフィールが殆どわかっていません。



 柿本人麻呂が詠んだ歌で初期のものは持統3年(689年)の草壁皇子の挽歌であり、最後が文武4年(700年)の明日香皇女の挽歌ですので、その時代に活躍したことは推測できますが、いつ生まれて、いつ亡くなったのか?などは不明なままです。

 この柿本人麻呂という人物は、日本書紀にも続日本書紀にも、その名は登場しません。通常、柿本人麻呂ほどの有名人物であれば、何らかの記述があってもいいはずなのに一行も名前が出てこない・・・。

 しかも、柿本人麻呂の歌の内容を見ると、草壁皇子、高市皇子、舎人親王、弓削皇子など天武天皇の子たちに捧げた歌が多く詠まれているので皇子たちと交流があり、かなり高官であったと考えられます。

 それなのに公式な史料には、いっさい登場しないのはおかしい!ということで、この柿本人麻呂については、多くの説が唱えられてきました。

 梅原猛氏によれば、柿本人麻呂は宮廷の政争に敗れた高官であり、最後は死罪となったという。さらに、「古今和歌集」に出てくる猿丸大夫と柿本人麻呂が同一人物ではないか?という説です。

 しかし、この説は文献的には裏付ける史料がないため、学会では否定されています。

 また、有名な説では、柿本人麻呂は、文武天皇の后と関係をもったため、流罪となったのですが、「万葉集」を作るにあたり、必要な人物であったため呼び戻された。しかし、罪人のままでは、都合が悪いので名前を山部赤人と改名させたという説です。

 山部赤人という人物も万葉集に載る有名な歌人であり、やはり経歴不詳の人物です。

 さらに、柿本人麻呂は、そもそも高官ではないのではないか?身分がさほど高くはないので、公式な史料には名が載っていないのでは?などの興味深い説もあります。