影武者は実在したのか?
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「影武者 徳川家康」隆慶一郎作の小説で有名な影武者。原哲夫さんの漫画でもお馴染みですね。
しかし、この影武者という役割は戦国時代に存在したのでしょうか?
実は、当時の資料や記録を見ても「影武者」という呼び名は出てきません。まぁ、影武者の存在が世間に知れれば、意味が無くなってしまいますから当たり前といえば当たり前ですね。
とはいえ、影武者のような働きをした人物は資料に残されています。
武田信玄の影武者です。信玄は、1573年に亡くなっていますが、遺言で「私が死んでも3年間は、その死を隠し通せ」といい残したといいます。信玄が死んだとわかれば、敵が一斉に攻めてくる恐れがあったからです。
とはいえ、3年もの長い間、信玄が顔を見せないとなれば、疑うものも出てきます。見舞いと称して北条氏政などは部下の者を信玄の下へ向かわせ様子を探らせもしました。そこで、影武者となったのが、信玄の弟である信綱。信玄のふりをしてやり過ごしたというエピソードが残っています。
この信綱の話が元になり、黒澤明監督は映画「影武者」を撮影したといわれています。
また、毛利元就の家臣、渡辺通という人も元就が身につけていた甲冑を身にまとい、身代わりになって亡くなったという話も残されています。写真がない当時では、武将といえど、顔はさほど知れわたっっておらず、甲冑さえ着てしまえばうまくだませたのでしょうね。
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