ジャンヌダルクは15世紀当時は有名じゃなかった
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ジャンヌダルクといえば、フランス東部のロレーヌ地方に生まれ神の啓示を受け、イギリス軍と戦い勝利。しかし、その後、イギリス軍に捕まり魔女裁判にかけられて処刑されてしまったことで有名です。
当時は、イギリス軍優勢の戦況の中、ジャンヌダルクの登場によってフランス軍は逆転大勝利をおさめたわけです。
このフランスとイギリスの戦争は百年戦争といわれています。およそ100年もの間続いた戦争。その最後を見事大逆転に導いたジャンヌダルクはまさに英雄・・・。のはずですが、当時はそれほど英雄扱いされていたわけではないのではないか?という説が存在します。
その理由のひとつが実はジャンヌダルクにまつわるお話はかなり脚色されている部分があり、伝えられている内容ほどの活躍はしていなかったのではないか?というものです。
そもそもジャンヌダルクは田舎から出てきた17,18歳の娘さん。今なら高校生の歳です。その女の子に神の啓示を聞いたとはいえ軍隊を任せるようなことをするのか?という疑問があります。なんの専門知識も持ち合わせていない女子高生に軍隊を任せるなんてことは現在ではまずありえませんね。さらにぶっつけ本番で大成功というのも確かに出来すぎているようにも思えます。
実は、ジャンヌダルクの後ろには黒幕がいて、その人物がジャンヌを操っていたのではないかという説もあるくらいです。
また、ジャンヌはシャルルの載冠式に出席したといわれていますが、記録による出席者は6名のみでジャンヌの名前は記されていません。
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ルーブル美術館に飾られる
シャルルの戴冠式のジャンヌダルク |
さらにジャンヌダルクが当時から英雄扱いされていたのであれば、イギリス軍にジャンヌが捕まった際、フランス側は激しく抵抗してもいいようなものですが、そういった記録もなく、ジャンヌは処刑されてしまいました。
では、なぜ現在ではジャンヌダルクは聖女として英雄扱いされているのか?
発端は、あのナポレオンであったといわれています。1803年にナポレオンはフランスの民衆の愛国心を駆り立てるために「ジャンヌダルクはフランスの国家的独立が脅かされた時、見事に救ってくれた!」と彼女のことを称賛したんです。ジャンヌダルクを英雄とし自らとダブらせることで民衆の心を掴んだんですね。
歴史上では、当時有名でなかったけれども後に政治的利用や演芸、小説などによって近年注目され有名になった人物はたくさんいます。ジャンヌダルクもその中のひとりであったようですね。
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