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歴史年代ゴロ合わせ暗記>一乗谷・小谷城の戦い

一乗谷・小谷城の戦い


 将軍足利義昭を京都から追放した織田信長。これで室町幕府は滅亡することとなります。

 信長の次の狙いは、姉川の戦いにて敗北しながらも未だ生き続けている朝倉義景と浅井長政。

 特に信長は浅井長政に強い恨みを抱いていました。浅井長政は信長の妹であるお市と結婚しています。それなのに信長が朝倉氏を攻めた時に浅井長政は朝倉氏側についたのです。

 妹まで嫁にやったのに裏切った浅井長政。姉川の戦いでは攻めきれなかったが今度こそ!といった具合で信長は挙兵します。

 1573年8月、浅井氏の小谷城を信長軍は攻囲。この浅井氏ピンチの状況をみて朝倉義景は自ら兵を率いて救援に向かいます。

朝倉義景


 ですが、朝倉軍、なんだか意気消沈な感じなんですね。すでに朝倉氏の有力家臣らが次々と信長側に寝返っていたりしたので戦意喪失なわけです。

 朝倉義景も救援には来てみたものの「こりゃ、マズい・・・」という雰囲気を感じ取り退却を決意します。

 しかし、信長がそうやすやすと逃がしてくれるはずもありません。柴田勝家、前田利家、滝川一益、羽柴秀吉、丹羽長秀に朝倉義景の追撃を命じ、自らも追います。

 居城の一乗谷に逃げ帰った朝倉義景でしたが、もはや信長軍と一戦交える戦力も気力も残されていません。一乗谷城を捨て、大野郡の平泉寺の僧の兵力を最後の期待として向かいますが、そこで一族の朝倉景鏡の裏切りにあい自刃することになります。5代続いた朝倉氏はこれで滅ぶことになりました。

 さて、朝倉氏を倒した信長。再び小谷城に戻ります。城に籠るのは浅井長政。そして、その父、浅井久政と信長の妹、お市と3人の娘たち。

浅井長政


 小谷城に残る兵力はおよそ4000人。しかし、その多くは背後の山に逃げ落ちてしまっている状態。対する信長軍は3万ほどの兵力。

 小谷城は山の上にそびえ立つ城。その山の中央ほどにあるのが本丸。浅井長政やお市らは、その本丸にいました。本丸から少し上った京極丸には父の浅井久政。

 信長に命じられた秀吉は、京極丸にとりつき、父、久政と長政を分断します。そして、京極丸を攻め立て父、久政は自刃。その後、本丸に総攻撃をかけます。

 長政は妻のお市と娘3人を信長のもとに送ると自ら命を絶ち、浅井氏も滅亡することとなりました。

 これで、信長は近江から越前にかけ一挙に領地を拡大することになります。

 年が明け、正月の席で信長は浅井長政、浅井久政、朝倉義景、3人のどくろを黒漆で塗り金粉をかけたものを酒宴の席で披露したといわれています。

 ちなみに、この戦いで助けられたお市は後に柴田勝家の嫁となり、後に秀吉に攻められ勝家と共に自害しています。長女は秀吉の妻となり淀殿と呼ばれ、次女は京極高次に嫁ぎ、三女は徳川秀忠の妻となり家光を生んでいます。