歴史年代ゴロ合わせ暗記 

歴史年代ゴロ合わせ暗記アメリカ合衆国の歴史イラク戦争

イラク戦争

 
 イラク戦争とは、2003年イラクが大量破壊兵器を保有していることを理由にアメリカ、イギリス軍がイラクを攻撃。フセイン政権を崩壊させた出来事です。この攻撃には、国際決議なしの先制攻撃であったこと。また、後の調査にてイラク攻撃の原因となった大量破壊兵器が結果、見つからなかったことなどから現在でもこのイラク戦争については、国際的に疑問の声が残っています。

 では、このイラク戦争の原因から見ていきましょう。

 1990年には湾岸戦争が起きています。イラクがクウェートに侵攻。これに対してアメリカを中心とする多国籍軍がイラクを攻撃した出来事です。この湾岸戦争において、イラクは1991年4月に「国連安保理決議687」を受諾。イラクは経済制裁の解除の条件として大量破壊兵器の破棄を義務づけられるのでした。もちろん新たに製造したり調達してもダメです。

 これにより国連は定期的にイラクに対して査察を行うことになります。しかし、この査察はイラク側の妨害などもありうまくいきません。そして、1998年1月にはフセインは査察団の活動を拒否。国連のアナン事務総長などの説得により、4月には査察再開となりますが、イラクの妨害は続きます。

 1998年末には国連による大量破壊兵器査察を拒む、イラクに対してアメリカ、イギリスは空爆を行いますが、それでもイラクは査察を拒むほどです。

 「う〜ん。完全に怪しい・・・。」

 と、なる訳です。実際、1996年4月にイラクは反政府運動を続けるクルド人居住地区に攻撃をしかけ、アメリカからイラク軍事施設を攻撃されていますのでまだ戦争やる気ムンムン超怪しいのです。

 そんな時、あの2001年9月11日の出来事が起きます。9.11同時多発テロです。

 このテロ行為に対してアメリカはテロの首謀者
オサマ・ビンラディンをかくまっているとしてアフガニスタンを攻撃します。これがアフガン戦争ですね。

 そして、アメリカはこのテロ組織を支援しているのがイラクではないか?と疑惑を持つようになるのです。

 これに対して、イラクは2002年11月に大量破壊兵器に対する査察再開を了承します。ですが、この査察とはかなり細かい所まで見ていくんです。だからイラクも嫌がっていたのですが、科学者の自宅を調べたり、大量破壊兵器への製造過程で部品になる物質の購入、または購入しようとしたなどの経緯も調べられたり・・・。結局、イラク側ではある程度までは査察を許しますが、積極的に協力するという姿勢までは見せませんでした。

 そんな中、アメリカはCIAなどにより、独自にイラクの大量破壊兵器の有無やテロ組織との結びつきを調べます。

 そして、「イラクには大量破壊兵器がある!」と結論付けてしまうのです。

 アメリカはイラクをテロリストを支援する「悪の枢軸」であると避難。また、独裁政権であるイラクの国民解放のためにと国際決議なしでイラクへの攻撃を開始します。2003年3月の出来事です。

 寝耳に水のイラク。湾岸戦争や長きに渡る経済制裁によって武力を大きく後退させていたイラクは最新兵器を有するアメリカに圧倒され、5月10日にはアメリカ大領領ブッシュは空母リンカーンの上で演説し事実上の勝利宣言を行います。

 勝利宣言の後、アメリカは新政権樹立とイラク復興の為、イラクを軍事的に占領。またフセインや政府の重要人物の探索に乗り出し、フセインの息子のウダイとクサイはアメリカ軍の攻撃により死亡、フセインも12月には逮捕されるのでした。


 <湾岸戦争


 
9.11同時多発テロ