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上皇陛下(明仁上皇)のエピソード

  


 

東日本を襲った震災の後、皇后美智子様と共に被災地を訪れる明仁上皇のお姿が今でも目に焼きついている方も多いのではないでしょうか?

明仁上皇は、1933年12月23日にお生まれになりました。

4人の内親王(女性)の後に生まれた男子の誕生とあって昭和天皇はもとより国民の喜びもひとしおだったといわれています。

当時の皇室では、満3歳からは家族から切り離され東宮仮御所で育てられるというしきたりがありましたが、明仁上皇もそのようにして育つことになります。

太平洋戦争開戦の前年に学習院初等科に入学。しかし、東京も戦火に見舞われ、日光市に疎開。終戦後は、再び学習院に学ばれますが、1946年から4年間はアメリカのヴァイニング夫人から教育を受けることになります。このヴァイニング夫人という方はクウェーカー教徒であり徹底した平和主義者。一方では、天皇の遺伝子を受け継ぎ、日本の古き伝統と思想を学びながら、一方では西洋の新しい思想、教育をお受けになった平成天皇は非常に稀有な存在であるといえるでしょう。

さて、明仁上皇には心温まるようなエピソードがいくつもありますが、やはり「テニスコートのロマンス」といわれた美智子様との出会いが気になりますね。

運命の出会いは昭和32年8月19日のこと。明仁上皇23歳。美智子様22歳。軽井沢のテニスコートにてお2人は出会われます。

テニスのトーナメントにおいて明仁上皇のペアは4回戦にて美智子様のペアと対戦することになりました。しかし、結果は美智子様ペアの逆転勝利・・・。しかし、明仁上皇はその時、それほど悔しがる様子もなかったといいます。この日をきっかけとして平成天皇は美智子様をテニス仲間のひとりとしてたびたび誘うようになっていくのです。

ちなみに明仁上皇はこの当時。テニスの仲間たちからなんと呼ばれていたかご存知でしょうか?

「チェブ」です。素焼きのチャブタという昔はブタの入れ物に蚊取り線香を入れて使っていたのですが、陛下はスポーツにも力を入れていたので肌が茶色かったそうです。そのお姿がチャブタに似ているということで「チャブ」。



そんなあだ名で呼んで恐れ多いというか、怒られないの?と、ちょっと怖くなりますよね。普通ならどっかの社長の息子とか政治家の息子とかだってふんぞり返って怒るとか、そんな仲間と付き合わないとかいいだしそうなものです。しかし、明仁上皇のまわりの友人たちは平気でそう呼んでいた。お心が広いというか、傲慢さのカケラもなかったことが伺い知れますね。

さて、明仁上皇と美智子様の恋の行方ですが、徐々に陛下のお気持ちを察するようになりながらも美智子様には戸惑いがあったようです。日清製粉の社長の長女とはいえ皇族でも華族でもない普通の令嬢が皇太子妃になるなど当時は異例中の異例。更にいくらお互いに好意を抱いているといっても一般の家庭に嫁ぐのとは比較にならぬほどの責務がついてまわることになるのですからね。

そのような美智子様の不安に対して陛下は電話で何度も美智子様とお話を重ねひとつひとつ不安を取り除いていかれたといいます。

どのような会話がなされたのかはお2人のみしか知りえませんが、

「ひとりの力として考えてはいけない。ふたりの力ですればと考えてごらん」

このような会話がなされていたといわれています。また、美智子様が後に明仁上皇との電話にふれた内容のお話をされたことがございました。

「度重なる電話の間、明仁上皇はただの一度もご自身の立場への苦情をお述べになったことはありませんでした。また、どんな時も皇太子としての義務が最優先であり私事はそれに次ぐものはっきり仰せでした」

普通ならお2人の結婚を妨げているのがそのお立場なわけですので、少しくらい不満を口にしてしまいそうな所。しかし、明仁上皇はご自身の立場を理解し、それが最優先であると述べていたのです。

美智子様は、婚約会見でこう述べています。

「とてもご誠実でご立派で心からご信頼申し上げ、ご尊敬申し上げてゆける方だというところに魅力を感じいたしまして・・・」

こうして1959年4月10日に御成婚。10キロにも満たない皇居から東宮御所までの馬車でのパレードには50万人を超える人々が集まり、このパレードを見るために当時まだ普及していなかったテレビはこの年200万台にまで跳ね上がります。

1989年1月7日に昭和天皇が崩御され皇位を継承された明仁上皇は、即位後の朝見の儀にて「いかなるときも国民とあることを念頭された(昭和天皇)御心を心としつつ、皆さんとともに日本国憲法を守り、(中略)国連の一層の進展と世界平和、人類の福祉の増進を切に希望してやみません」と述べられます。

また「国民の幸せを常に願っていた天皇の歴史に思いを致し、国と国民のために尽くすことが天皇の務めであると思っています」とのお考えを日々まっとうされ、日本を襲った震災に対しても、そのお言葉、行動によって希望と勇気を分けていただいた方は多いことでしょう。


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