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歴史年代ゴロ合わせ暗記歴史の真実>服部半蔵は忍者じゃない

服部半蔵は忍者じゃなかった


 服部半蔵。忍者と言えば、彼の名がまず思い出されるという人も多いのでないでしょうか?

 漫画やアニメ、映画や小説、ゲームなどで何度も出てきた名前です。

 実は、服部半蔵というのは代々受け継がれてきた名前で一般的に知られている徳川家康に仕えた服部半蔵は2代目のことを指します。

 超能力のような忍術を使い、超人的な身体能力の持ち主といったイメージが強いのですが、実は2代目服部半蔵は忍者ですらなかったと言われています。

 服部家は、もともの伊賀出身で、初代の服部半蔵は、三河へ出て松平清康(徳川家康のお爺ちゃん)に仕えていました。

 2代目服部半蔵は家康と同じ年だったこともあり、弓や馬、剣術などもいっしょに学んだと伝えられています。

 家康が今川氏真を攻め落とした時や、織田信長と家康の連合軍が姉川の戦いで浅井長政、朝倉景健の連合軍と戦った時にも服部半蔵は家康と共におり大きな戦功をあげています。

 その後も家康に従軍し戦っていますので、隠密活動の忍者ではなくバリバリの武将として働いていたわけです。

 そして、有名なのが本能寺の変で信長が倒れた時の活躍です。

 当時、家康は畿内にいましたが、わずかな家臣しか連れていない状態で明智の軍に包囲されていまいます。その時に半蔵は、伊賀者を呼び集め、家康を護衛しながら伊賀越えを決行、無事に明智の軍から逃げ延びることができました。

 この時の働きに伊賀者200名は千貫の禄が与えられて半蔵はその頭目に命じられました。

 服部半蔵自身は徳川家康の有力な武将の1人でしたが、父親が伊賀出身の忍者であった縁から徳川に召し抱えられた伊賀忍者を統率する立場となった為、後にフィクションの物語の中で伝説的な忍者とされてしまったようです。