昔の花見は桜ではなく梅だった
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花見と言えば「桜」ですね。しかし、奈良時代には花見と言えば「梅」でした。
「万葉集」に収められている歌をみても、梅を題材にした歌が118首あるのに対して、桜はわずか44首。また、平安時代の初めに内裏の中心である紫宸殿に植えられたのも梅の木でした。
ところが、平安時代の半ばになるとそれが逆転。梅よりも桜のほうが好まれるようになっていきます。
その頃に完成した「古今和歌集」をみても桜の歌の方が多くなっていきます。
これは、平安時代になると貴族文化が熟成し、文化的に強い影響を受けていた「中国」からの影響が薄れてきたからではないかといわれています。
当時の中国と言えば最先端。まぁ、現在の日本でいうと原宿とか新宿とかですかね。
梅も中国から伝えられたもので中国の人たちはその美しさを漢詩に残したりして大人気だったんですね。奈良時代の貴族たちも最先端の中国に影響を受け「梅」を美しいと思っていたわけです。
原宿とか新宿で流行っているファッションを地方で真似るような感じですかね。
実際、奈良時代に完成した日本最古の漢詩集「懐風藻」には、梅を詠んだ詩がありますが、これは中国の詩の作り方を真似ています。
しかし、平安時代半ばになると、中国文化の影響も薄れ、日本人は「はかなさ」などに心を奪われるようになります。
短い期間だけ美しく咲、その後、散ってしまう。こっちの方が日本人の美的感覚にピッタリだったんです。
余談ですが、日本初の桜の花見は812年の嵯峨天皇が神泉苑に各地から集めた桜にて宴会を開いたのが最初といわれています。
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