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歴史年代ゴロ合わせ暗記>イランの最高指導者 アリー・ハメネイ師

イランの最高指導者 アリー・ハメネイ師


 イランの最高指導者である
アリー・ハメネイ師とはどういう人物なのでしょう。今回は、ハメネイ師についてちょっと学んでいきましょう。

 イランという国を動かしているのは最高指導者であるセイエド・アリー・ホセイニ・ハメネイ師です。師というのは、イスラム法学者の敬称です。

 ハメネイ師は、イランの初代最高指導者のルーホッラー・ホメイニ師の後継者として1989年に最高指導者となりました。最高指導者は一度なってしまえば死ぬまでその地位が約束されます。

 一応、イランにも大統領がいます。ちゃんと国民の選挙で選ばれた大統領です。しかし、その上に最高指導者が存在しますし、大統領に立候補するにもその資格があるのかどうかを「
監督者評議会」が選別します。そもそも、この監督者評議会のメンバーのうち6名は最高指導者が任命しますので最高指導者の意にそぐわない人物は立候補することも難しいのです。

 では、最高指導者は絶対にやめさせることはできないのか?

 一応、「
専門家会議」とうい組織が最高指導者を罷免する権限を持っています。その専門家会議のメンバーは国民が選挙で選出しますので建前としては国民が最高指導者をやめさせることができます。さらにいえば、最高指導者を任命するのも専門家会議のメンバー。つまり、国民が選挙で専門家会議のメンバーを選んで、その専門家会議は最高指導者に任命する権利も罷免する権利も持っているわけです。国民は間接的に最高指導者を任命、罷免することができます。

 ただし、これには裏があります。その専門家会議のメンバーに立候補する人も監督者評議会の審査を通らなければならないんです。つまり、専門家会議のメンバーも大統領も最高指導者が選んだメンバーの監督者評議会の審査を通る必要があるというわけです。

 
イランの最高指導者ハメネイ師の権力

 イランの最高指導者は行政府、司法府、立法府の三権の長であると同時に国軍の実質的な最高司令官であり、革命防衛軍(国軍の目付け役的な存在)の最高指揮官であります。革命防衛軍は国軍が万が一逆らってクーデターなどを起こせば叩き潰す役割です。

 
そもそも最高権力者って何?

 イランでは、なぜ最高権力者が存在するのでしょうか?

 初代のホメイニ師が最高指導者になるまでは、イランには国王がおりました。イランを統治していたパフラヴィ-国王はアメリカの援助を受け、脱イスラムの近代化を進めます。「
白色革命」といわれるものです。

 これにより工業化と経済発展に成功します。1973年には第4次中東戦争が起こり、石油価格は高騰。イランは膨大な石油による収入を得ましたが、裕福になったのは王族や官僚ばかりで庶民は逆にインフレに苦しむことになります。また、イスラムの軽視の姿勢なども民衆の不満を募らせる原因ともなり、やがて革命が起こります。

 
イラン・イスラム革命です。

 この革命を主導したのが初代最高指導者となるホメイニ師です。

 実際、ホメイニ師は1963年には国王を批判して国外追放になりパリに亡命していましたが、ホメイニ師のいない間も弟子たちや彼に賛同するものたちが暴動を起こし、ついには国王は亡命するんです。

 その後、ホメイニ師がパリから帰り、「イラン・イスラム共和国」の樹立が宣言されます。

 この辺からアメリカとの仲が悪くなります。親米政権を倒したんですからね。また、亡命した国王を引き渡せとアメリカに迫るとアメリカは拒否。イランの国民がアメリカ大使館を襲撃したりもしています。

 敵はアメリカだけではありませんでした。王政や首長制のアラブ諸国の国々は「こんなのに触発されて我が国も革命が起こったらどうしてくれんだ!」とイランに干渉。隣のイラクなんて自分の国で石油が出ないので「アメリカも見放したし、チャンスじゃない?」とイランに侵攻します。これがイラン・イラク戦争です。

 イランの革命が成功となると余波が自国にも及びかねないと各国はイラクに支援を開始。結局は停戦という形で8年にも及ぶ戦争は決着を見せますが、この時の支援がイラクの軍事力を高め、後にクウェート侵攻、湾岸戦争へと繋がっていきます。


 
最高指導者ハメネイ師の誕生

 1989年にホメイニ師が亡くなると、後継者として選べられたのがハメネイ師です。

 ハメネイ師はホメイニ師のもとでシーア派神学を学んだこともあり、ホメイニ師の呼びかけで反国王の運動に加わり、幾度も投獄されております。

 革命後は、国防軍需次官や革命防衛隊長官などを歴任。1981年には大統領に1985年には再選を果たしておりました。

 ホメイニ師の片腕の存在だったわけです。

 そのハメネイ師が最高指導者になると翌年、イラクがクウェート侵攻。その次の都市には湾岸戦争が始まりますが、イランは中立を維持しています。

 2002年にイランの核開発が発覚。アメリカ、イギリス、フランスなどの忠告により一時的に開発を中断。しかし、2005年には核開発を強行。2007年には産業レベルの濃縮ウランの生産に成功したと発表しています。

 
イランの大統領

 ここまで最高指導者の力が強いならイランに大統領はいらないんじゃないと思ってしまいますが、実は、大統領が変わるごとにイランの政治的な動きも大きく変わったりもします。

 核開発の強行をした2005年はアフマディネジャド大統領が就任した年でこの人は強硬派と言われています。また、2013年にロウハニ大統領が誕生するとイランはアメリカなどと交渉を始め核開発の大幅な制限で合意。経済制裁は解除されています。

 つまり、ハメネイ師はある程度、大統領に権限を持たせ任せているというわけです。

 イランの今後
 
 現在でも政情は安定しているとは言えないイラン。当面の課題としては、インフレや失業、公害などがあります。アラブ諸国とは一線を画しているとも思え、我が道を行くタイプの国です。

 若い方は知らないかもしれませんが、現在40代、50代の人はイランの人と一緒に働いたことのある人も多いかも知れません。ビザの免除協定があって、その時にはイランの人が沢山、日本に来て働いていたんです。現在でも日本を気に入って住んでいる人もいますね。

 遠い国ですが、イランの人と日本人は結構仲良しな訳です。政治や歴史は違えど、イランの事を学んでみるのもいいでしょう。