後醍醐天皇
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1288年 |
0歳 |
現在の京都府京都市に生まれる |
1308年 |
20歳 |
皇太子になる |
1318年 |
30歳 |
天皇として即位 |
1324年 |
36歳 |
「正中の変」で側近が処分される |
1331年 |
43歳 |
「元弘の乱」で挙兵するが失敗。廃位となる |
1332年 |
44歳 |
隠岐へと島流しとなる |
1333年 |
45歳 |
隠岐の島から逃げ出し、「建武の新政」開始。天皇の座に戻る。 |
1336年 |
48歳 |
吉野に逃れ、南朝を建てて初代天皇を名乗る |
1339年 |
50歳 |
後村上天皇に譲位。その後崩御。 |
後醍醐天皇といえば、建武の新政や鎌倉幕府を倒したことで有名ですね。
かつては、天皇といえば政治の中心でした。しかし、後醍醐天皇の時代には、武士が力を付けていた時代。後醍醐天皇は鎌倉幕府を倒して主権を自分の元へ取り戻すことに人生を捧げます。
しかし、打倒鎌倉幕府は、計画がバレて側近が処分されたり、挙兵しても敗れて隠岐の島に流されたり・・・。天皇が島流しなどちょっと考えられない事態ですね。
しかし、隠岐の島で1年ほど我慢した後、再度、立ち上がり、今度は足利尊氏や楠木正成、新田義貞らの協力を得て1333年、ついに鎌倉幕府を倒します。(いっさっささ『1333年』と北条氏)
その後、「建武の新政」と呼ばれる天皇中心の新しい政治体制を作ります。これは、征夷大将軍は置かずに後醍醐天皇自身が中心となる政治体制で特に武士たちからは不満の声があがります。
そこで立ち上がるのが足利尊氏。彼は、反旗を翻し後醍醐天皇を倒します。たったの2年で後醍醐天皇の政権は終わりを告げることになるのでした。
しかし、諦めない男、後醍醐天皇は、吉野(奈良県)に逃れ、その地で「南朝」という朝廷を建てて初代天皇を名乗ります。これに対して足利尊氏の室町幕府は「北朝」として別の天皇を置く事態となり日本に2人の天皇が存在する「南北朝時代」が始まるのでした。
その後、後醍醐天皇は吉野で病を患い崩御。死の間際まで各地に皇子を派遣するなど北朝との争いに執念を燃やしていたといわれています。
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